17年から復元工事が行われた、全国でも珍しい上円下...
日本国内で3例確認されている上円下方墳(じょうえんかほうふん)です。
古墳は、7世紀前半に築造されたと考えられています。
上円下方墳では国内最大で、最古級の古墳であることが判明しています。
墳丘の2段目と3段目は葺石に覆われています。
1段目方形部が1辺32m、2段目方形部が1辺23m、3段目円丘部が直径16m、全体の高さは5mです。
南側に入口をもつ横穴式石室で、全長約8.8m、玄室・後室・前室の複室構造で、羨道の南側にハの字型の前庭部があります。
室内からは被葬者のものとみられる歯や、七曜文が銀で象嵌された鞘尻金具、玉類、刀子などが出土しています。
平成2年に発見、17年から復元工事が行われた、全国でも珍しい上円下方墳。
毎年10月には古墳祭りが行われ、ファミリー向けの昼の部、大人向けの夜の部ともに盛況となる。
古墳について解説する施設が併設されているのでお手洗いも心配なし。
ただ、近隣に飲食店は無いので、出店が展開される古墳祭り当日以外はご注意を。
最寄り駅 JR国立駅より南口3番バス乗り場より府中行き西府町2丁目下車進行方向に1分入館料は無料 トイレは古墳展示館内形状 上円下方墳築造時期 7世紀中頃~後半神社の境内にある小山が古墳であるという説自体は以前から存在し、地元では関東大震災の時に墳丘の一部が崩壊するまで石室の中に入れたとの言い伝えがある。
穴に入ることができたことから、神社の敷地内にある小山のことを洞穴(ほらあな)と呼んでいたが[1]、最近まで古墳であるかどうかの確証がつかめなかった。
なお、熊野神社は元々は府中市内の別の場所にあったものが、1777年(安永6年)に現在地に移ってきたものと言い伝えられており[2]、古墳と神社は直接的な関係はないものと見られている。
との事です。
甲州街道沿いに突然現れる古墳作られた当時を再現し保存されており形状は珍しい上円下方墳神社の本殿の後ろにあります。
柵があり近づけなくなっていますがかなりの近距離で見れます。
併設されている資料展示館があり玄室を再現した所もありますが天井がかなりの低く又、段差もある為展示館の入口でヘルメットと懐中電灯を貸してくれますが、何も言わずに行ける様な雰囲気なので入口で一言声をかけた方が良いと思います。
展示館の2階もパネル等で説明がされています。
土に埋まり、天井部が崩れ落ちてしまっていたのを復元したものです。
武蔵府中熊野神社古墳とありますが、熊野神社とは関係無い古墳です。
古墳が埋まって小山になってた所に神社が建てられ、増築の為小山を削ったら出て来たらしいです。
整備され綺麗ですが、柵から中には入れ無いので遠いです。
古墳の周りはぐるっと一周出来ます。
北側には熊野神社の鳥居もあって良い感じですが、車道なので気をつけないと危ないです。
JR南部線西府駅北口ロータリー左手の西府駅前通りを直進し、甲州街道に出て左折、西府町二丁目信号を渡った所にある武蔵府中熊野神社の裏手にある古墳である。
西府駅からは徒歩9〜10分程度である。
こちらの古墳は上円下方墳なる日本中でも珍しい古墳で現在16万基強の古墳で6基しか発見されていない上、上円下方墳中でも最大のものである。
詳しくは熊野神社鳥居の横にある展示館を合わせて訪問されたし。
住宅地の中に忽然と現れる異様な石組み。
これが古墳いうことならば堂々たる上円下方墳です。
このクラスの規模だと、大化薄葬令以前の築造と考えるのが普通。
大化薄葬令後だと高松塚に見られるように皇族(私は高市皇子被葬者説を支持)ですらあの程度の墳丘しか許されなかったことを考えたら、それより大きなこの古墳は大化以前の築造でなければならない。
大化以前となると埼玉(さきたま)古墳群と近い時期ではなかったのか?これだけの古墳を築造した豪族はいったい誰なのか、興味深い。
ただ、現在の形が元の形を忠実に復元したものなのかどうかはどうなんでしょうか?
国の史跡です。
とても綺麗に修復されました。
この辺りには奈良時代の国道⋅東山道武蔵路や国府(武蔵国の都)がありました。
万葉(1300年前)の香りが漂って来そうです。
ただの石のオブジェかと思っていたら、とんでもなく貴重な古墳でした。
日本にある上円下方墳のなかで最古・最大です。
しかも上円下方墳は日本に4つしかないという貴重さです。
出土品も貴重なものがあり、歴史的価値が相当高いです。
被葬者は具体的にはわかっていませんが、相当すごい実力者だったみたいです。
その昔、国府が置かれた府中の凄さをちょっと体験できました。
出来たらもう少し上から眺められる撮影スポットが欲しかったです。
下からだとせっかくの立体感が上手く撮影できないです。
住宅地にひっそりとたたずむ古墳。
きちんと整備されていて日本の歴史を感じられる。
珍しい上円下方墳の古墳です。
綺麗に整備されていました。
展示館も合わせて訪問されるのをお勧めします。
甲州街道沿いに古墳があったんだ!この辺は府中とか国分寺とか昔から関東の中心地だったんだな。
熊野神社古墳。
熊野神社社殿後方にある熊野神社古墳は国内最大・最古の上円下方墳。
鳥居横には国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館がある。
古墳好きには知られた存在も、比較的近所に住んでいても気付いていない人も多い穴場=古墳(笑) 展示室もあるので夏休みの自由研究などにはオススメですよ❗
当時の先進的な技術を駆使して造られた古墳です。
府中には、6、7世紀に多くの古墳が築かれ、その中でも国府の成立にかかわりが深かったのがこの古墳です。
全国的にも数少ない3段の上円下方墳です。
内部の石室から出土した鞘尻やガラス玉などは、古代の文化と高度な技術を見ることができます。
資料館には、その時代とその後の歴史を、解りやすく見ることができました。
この古墳の採掘には、熊野神社の氏子のみなさんをはじめ、多くの市民の方々の多大な協力があったこと忘れることはできません。
甲州街道から裏道に入ったら、石に覆われた異様な構造物が目に飛び込んで驚いたのが2,3年前だろうか。
古墳と言うと木々に覆われたイメージだが、当然、作られた当初はこのような形であったのだろう。
そうとは言え、実際に見ると迫力があり、権力者の墓として相応しい威厳を感じさせる。
現実には、数百年も経てば存在も忘れられて「あそこの小山の石拾って塀でも作ろう」という感じで石も剥ぎ取られ、木々に覆われてゆくのだろう。
しかし、古墳の跡には神社が建てられていることが多い。
偶然だろうか。
古墳が作られた当時の姿というのは想像図で見ることはあったが、現物として見れるところはそう多くないだろう。
行く価値ありだ。
国史跡武蔵府中熊野神社古墳は国内最大・最古の上円下方墳1段目約32メートル方形、2段目約24メートル方形、3段目直径約16メートル円形を呈する三段築成古墳。
高さ復元高約6メートル。
✸出土品✸鞘尻金具✸環金具✸刀子✸釘✸ガラス玉 他被葬者不明。
武蔵国府設置直前に大きな力を持っていた人物の墓と考えられている。
上円下方墳という珍しい古墳が綺麗に修復されています。
また隣接する資料館も整備されており無料で観覧出来るのも良いです。
機会があれば一見すると良いでしょう。
近代になり発見された西府町にある古墳。
極めて珍しい上円下方墳という形であり、 全国的に6例しかない中で最大の大きさを誇る。
現在は精巧なレプリカですが、 実際作られた際の被葬者は武蔵国の有力者であった可能性が高いという・・・歴史ロマン溢れる場所。
2003年に熊野神社裏の小山に古墳がみつかったというニュースを聞き、現地説明会にいきました。
この小山は前から古墳ではないかといわれていましたが、そうでなかったら崩して駐車場にするつもりだったそうです。
ところがよく調べてみると切石・吹石・石室・古墳を丈夫にする版築工法などがみつかり、近隣にない大きさ・特徴を持つ古墳だとわかりました。
2009年に当時の形に復元して国史跡に指定されたときき、再訪しました。
西府駅からどきどきしながら歩くと甲州街道向うに石積みの古墳が見えてきて大興奮。
近づくと吹石に覆われた古墳の大きさ、高さに驚きました。
この古墳は7世紀中ごろに作られたと説明がありましたが、1000年以上も経つと石も持ち去られ、古墳であることも伝わらずただの小山になってしまうんだなあと思い、なんだか寂しい気持ちになりました。
かつては情報を残す手段がほとんどなかったので致し方がないのですが。
このときは古墳に関する情報は説明板とプレハブ小屋内のちょっとした展示しかありませんでした。
のちに古墳展示館ができ、改めて見に行きました。
高倉塚古墳群の古墳をいくつかみてまわり、帰りました。
円形古墳外観復元、内部は当初のままです。
閑静な住宅街にひっそりとある古墳群。
古墳が復元れています。
立派な古墳がいきなり現れるので、甲州街道から見るとびっくりするかもしれませんね。
地元府中ですが、初めて見ました。
なかなか見応えあります。
古墳にしては随分整備されてしまっている。
神社の施設という雰囲気。
名前 |
武蔵府中熊野神社古墳 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
042-368-0320 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.kankou-fuchu.com/?p=we-page-entry&spot=40310&cat=15359&pageno=3 |
評価 |
4.0 |
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見るだけでも圧倒されます。
近くに古墳展示館が有り、古墳を復元されるまでの過程がよく理解出来ます。