整備されて府中市と国の史跡に指定されています。
国府跡としては大國魂神社全体を含む広い範囲になるかと思われます。
こちらに展示されているのは国衙跡です。
武蔵野国の古代の中心地であった府中市や国分寺市、沢山の史跡があるのは当然として、しっかり保存・復元・解説をされているのが好印象です。
こちらは地域公園レベルの広さではあるものの、国衙建物の礎石の位置に柱を建て、史跡であることを表現しています。
大國魂神社のすぐ脇にある為、参詣の前後に訪問するのが良いでしょう。
言われなければわからない謎の柱群。
オシャレな建物の中に詳しい説明があります。
ただし真夏にも関わらず、エアコン効いてませんでした。
同じような説明は府中市ふるさと府中歴史館にありましたので、エアコン効いているそちらでのんびり見てからにしたほうがいいと思います。
奈良平安時代の武蔵国府の中心地にあたる国衙の跡地で、建物跡の一部が復元され、見学施設として開放されている。
昭和50年以来、継続的に発掘調査を行っており、この武蔵国府跡を中心に、南北約300m、東西約200mの大規模な区画溝に囲われたこの地域には、整然と並んだ大型の建物群の跡が発見され、瓦などの特徴的な遺物が出土している。
大国魂神社の東側にあります。
朱色のコンクリート柱が整然と立ち並び、一画には開放的な展示館があり、此方の由緒を説明しています。
以下は府中市のホームページからの抜粋です。
武蔵国(むさしのくに)の国府は、『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に「多麻郡に在り」との記載があるものの、所在地は特定されていませんでした。
江戸時代以降、五説が提起されていましたが、昭和50年以降の調査により、京所(きょうず)説の旧甲州街道に平行する2条の東西大溝と大國魂神社境内から確認された南北溝に囲まれた南北約300メートル、東西約200メートルの範囲が国衙(こくが)(=国府の中心にある役所区画)と判明しました。
国衙(こくが)域内では、掘立柱(ほったてばしら)から礎石(そせき)建ち建物に変遷する大型建物跡や、瓦やセンの多量出土がみられます。
センとは、漢字でツチ編に専門の「専」と書き、古代のレンガのことです。
武蔵国(むさしのくに)21郡中19郡の郡名瓦やセンが出土しており、武蔵国(むさしのくに)の総力をあげた国衙(こくが)・国庁(こくちょう)(=国衙(こくが)のさらに中心にある中心区画)の造営の姿を現しているものと考えられます。
国衙(こくが)の存続期間は、出土土器等から8世紀前半から10世紀後半までとみられ、他国の国府跡と共通性があります。
さらに、国衙(こくが)域内において確認された溝により、東西・南北約100メートルの区画が推定され、この中から確認された大型建物跡2棟が国庁(こくちょう)の「正殿」に匹敵する国衙(こくが)中枢建物跡と考えられています。
国衙(こくが)西側部分に相当する大國魂神社境内域と、上記国衙(こくが)中枢建物跡の保存箇所が指定範囲ですが、大型建物跡部分は整備され公開されています。
5/11迄閉館してるから、要注意だよね❗
神殿の後ろがパワースポットと聞きました。
やはり空気が少し違いますね。
お焚きあげは神殿左手にありました。
土日だと9時頃空いてました。
駐車場も空いてます。
柱の跡などを復元していますが、それ以外は取り立てて見どころはありません。
私たち夫婦のパワースポットに久しぶりに参拝しリフレッシュして気分一新\(^-^)/コロナに負けないで頑張って👊😆🎵生きていくぞ‼️
貴重な場所ですが、柱がコンクリート様の材質で再現されていて。
律令制下、中央政府から派遣される国司が地方政治を執行した役所が国衙(こくが)で、赤い柱は国衙の柱跡に復元したもの。
国府は国衙など重要な施設を集めた都市。
建物は無いですが、色々と歴史を感じます。
説明書きには国府は役所の所在地で、国衙は中枢の役所群が置かれた場所とありますけど、ややこしい書き方をしてますね。
国衙というのは税所や調所といった役所の総称で国司が常駐した場所を指すんです。
つまり、国衙が置かれていたのが国府ということになるわけで、何でこんなややこしい書き方をしたのか理解に苦しみます。
武蔵国というのは南は川崎あたりから、北は埼玉の寄居のあたりまで、西は八王子から東は隅田川までだったそうですが、この国分けはかなりいい加減であったようで、何分にもその当時は正確な地図など無かったわけで、朝廷の役人が調べたにせよ彼らに専門的な知識があったわけで無し。
事実、都から遠く離れてくると国の大きさがバラバラになっている。
陸奥や出羽国は広いのに安房国などはものすごく狭いのがその証拠でしょう。
室町時代に太田道灌が江戸に城を築いて武蔵国の中心が江戸に移ったことを考えると、やはり、府中は武蔵国をまともに調べなかった朝廷が勝手に決めた国府の中心でしかなく、本当の意味での武蔵国の中心ではなかったのかもしれないですね。
これを読んで気分を害した人がいたらごめんなさい。
別に府中を貶しているわけではありません。
大國魂神社の隣にある。
無人の施設。
柱の穴しか見つからなかったから、柱だけ再現しているらしい。
まるで現代アートのようにも見える。
この場所に武蔵国の国衙(今で言うところに『県庁』みたいなもの)の中枢(国庁)が在ったとみられています。
国衙の規模は今の大國魂神社の境内社、宮之咩神社の辺りから、この東の住宅街一帯に及ぶのではないか、と推定されています。
建ち並ぶ赤い柱は、発掘された柱穴跡の上に建てられているもの。
併設されている「ふるさと府中歴史館」は無料で見学できます。
国分寺が国府の近くに作られるとの事で府中に国府があった事を知りました。
奈良時代や平安時代、武蔵の国は遠国だったんでしょうが、由緒ある場所だったんですね。
大國魂神社もあり、政治、文化の中心地は、ここ府中。
江戸時代初期まで重要な街だったんですね。
以後、地位は宿場町程度になったということですが、デパートで高級食器がポンポン売れてるのを見ると品の良さを感じます。
京王線・府中駅から徒歩約5分。
大國魂神社の隣に位置する。
武蔵国の国府跡で国の史跡に指定。
ここは、その国府の国衙地区(国府の中心である政務機関の役所群)。
建物跡、柱を復元したものや出土品が見学できる。
常駐のスタッフはおらず、開館時間内は展示物を自由に見学できる。
規模は小さいが奈良から平安時代の府中の歴史を学べる貴重な史跡。
大国主を祀った神社。
中は撮影禁止らしい。
奈良時代から平安時代に武蔵国の国府があった場所。
ここら辺は歴史を感じさせる町並みです。
おおくにたまじんじんじゃもお参りしましょう。
名前 |
武蔵国府跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
042-335-4393 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
評価 |
3.8 |
武蔵国府跡の発掘調査が終わり、整備されて府中市と国の史跡に指定されています。
管理施設には、史跡の概要がまとめられています。