萬葉仮名の和歌を漢詩調翻訳:清清多摩川,浣紗水潺潺...
多摩川土手に近い住宅街に「玉川碑跡」があります。
「玉川碑」とは、「万葉集」に納められた東歌の一首が刻まれた歌碑で、最初の歌碑は江戸時代後期の文政年間に建造されました。
この碑は文政12年(1829)の洪水で行方不明になりました。
大正時代に歌碑の再建が企画され、大正13年(1924)に再建されました(狛江市教育委員会設置の説明板記述)。
歌碑の万葉仮名は旧碑の拓本から再現した松平定信の書の模刻、歌碑裏面に再建に尽力した渋沢栄一などの名前が刻まれています。
万葉歌碑の文章、「多摩川にさらす手作りさらさらに、何そこの児のここだかなしき」。
格調高い文化史跡です。
『万葉集』に多摩川を歌った一首があります。
多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛(かな)しきこの歌は狛江で詠まれたものだと伝えられ、多摩川の近くに、その石碑が建てられています。
この歌碑は二代目。
最初の歌碑は。
多摩川の洪水で流失。
文字は寛政の改革の松平定信により書かれたものでした。
今の歌碑にはなぜか、澁澤榮一の名が刻まれています。
寛政の改革を主導した定信を敬愛していた渋沢。
彼の尽力で歌碑は再建されたのです。
NHK大河ドラマ、渋沢栄一が発起人となり作られた碑です。
萬葉仮名の和歌を漢詩調翻訳:清清多摩川,浣紗水潺潺,何如佳人美,懷思增愛憐。
ちょっと地味で、気が付かないで通り過ぎるところでした。
管理されている方が解説を配布されています。
万葉集巻14東歌多摩川に さらす手づくり さらさらになんぞこの児(こ)の ここだ愛(かな)しき歌の訳多摩川にさらさらとさらす手づくりの布のように、さらにさらにどうしてこの娘(こ)がこんなにかわいいのだろう多麻河泊爾 左良須弓豆久利 左良左良爾奈仁曽許能児能 己許太可奈之伎歴史的には★★★★★ 令和元年ですし、良いかな、と。
整備度合いは★ です。
藪をかきわけて文字をみる。
大事にしたいところであります。
歌碑高さ2.7m
みずらくて整備があまりされていないかんじ場所がわかりにくい。
なんだろうね ここは(笑)伊豆美神社が管理をされている。
以下引用『万葉集』巻14の東歌の一首「多摩川にさらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだ愛しき」が刻まれた歌碑で松平定信の揮毫になります。
文化2年(1805)に猪方村字半縄(現在の猪方四丁目辺り)に建てられましたが洪水によって流失しました。
大正時代に玉川史蹟猶予会が結成されると松平定信を敬慕する渋沢栄一らと狛江村の有志らが協力して大正13年(1924)旧碑の拓本を模刻して新碑が建てられました。
なんだろうね ここは(笑)伊豆美神社が管理をされている。
以下引用『万葉集』巻14の東歌の一首「多摩川にさらす手作り さらさらに何そこの児の ここだ愛しき」が刻まれた歌碑で松平定信の揮毫になります。
文化2年(1805)に猪方村字半縄(現在の猪方四丁目辺り)に建てられましたが洪水によって流失しました。
大正時代に玉川史蹟猶予会が結成されると松平定信を敬慕する渋沢栄一らと狛江村の有志らが協力して大正13年(1924)旧碑の拓本を模刻して新碑が建てられました。
小さい規模ですが、きれいに整備されています。
名前 |
玉川碑跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
03-3489-8105 |
住所 |
|
関連サイト |
https://www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/45,3437,349,2100,html |
評価 |
3.6 |
4月は椅子が2つあり西洋タンポポがたくさん咲いてて気分的に癒されます。
お散歩コースに入れてみると最適です。