戦国時代、千葉氏の居城のあった場所。
東武赤塚駅から約20分の歩きで登城できます。
住宅街の中の緑のオアシスの様子、公園化されていて、美術館、梅林、溜池と呼ばれる大きな池があります。
郭がしっかり残る、古城の雰囲気を感じることができる所でした。
赤塚城の本城跡地として公園の広場に石碑と案内板が立ってます。
豊臣氏に滅亡されるまで、この跡地に大きな城が存在したようです。
ただ、まだ当時の城の内部や構造が解明されてない部分もあるようで、今に至ります。
3/9。
入口の梅は見頃でした。
もうすぐ満開です。
下の溜池公園は子供達でいっぱいでしたがここは静かに過ごせるのでのんびり一杯とかしたくなります。
下総千葉氏の分家武蔵千葉氏の居城。
周辺は谷が入り組んでいて確かに守るに良さげな立地。
しかし武蔵千葉氏が小田原落城まで存続していたとは意外だった。
ここへの登り口は赤塚溜池からか少し南のセブンイレブン横の階段から。
記念碑が建立していて、周りは、広場でした、室町時代に武蔵千葉氏の居城でした、今は、広場になっていて子供の遊び場になっています、のんびりしていて、よかったです。
武蔵千葉氏である千葉自胤の城で、土塁や堀らしき起伏が見て取れます。
うーむ、私のは写真が古いようで城址碑が木々に覆われてますね(^^;
豊島一族を屠った太田道灌により、関東管領勢についた武蔵千葉氏が居城とした。
その後、江戸城を奪取した北条家に与するが、小田原征伐の際に廃城となった。
武蔵千葉氏の墓は菩提寺の松月院にある。
本丸の北側(溜池)及び東側(美術館)が谷津による沼地だったので、城跡遺構はほとんど見られない。
むしろ目立たない本丸南及び西側に空掘などの遺構がある。
城址南の上赤塚観音堂付近の地名が中丸。
また、東京大仏のある乗蓮寺が二の丸ともいう。
周りが平地で小さな谷に挟まれた小高い丘を切り開いて城を作ったと思われる。
攻められ落城しているところからも防御度は低い。
頂上の城跡は平で芝生っぽくなっており、石碑がある。
1456年に千葉自胤によって築城されたと伝えられが正確なところは不詳である。
赤塚城は、真北にある荒川の早瀬の渡し場を一望し、また武蔵北部から武蔵南部の下赤塚、江古田に至る鎌倉道を押さえる、陸運、水運を掌握する要衝であった。
赤塚千葉氏は後北条氏の有力な家臣として活躍したが、1590年に豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、千葉氏も所領を没収され、赤塚城は廃城になった。
現在は土塁、空堀、堀切、切岸など、江戸城を除く23区内の城址の中では最も多くの遺構が残っている。
セブンイレブンの隣の竹林の脇の階段を登って行き登り切ったら右に曲れば直ぐ梅園が現れます。
今年は2月20日頃から急に暖かくなり21日現在3部咲きの状況!梅園の広さはそれ程広くはありませんが梅の木の本数はかなり有りますので見応えあります。
そして其の奥の先に赤塚城址が在ります。
3月1日には8部となりほぼ見頃です。
城跡っぽい雰囲気はすごくある。
遺構は多少残っているが、縄張り図などを参照しながら歩かないと見つけられない可能性大。
かなりマニア向けの城跡。
一ノ郭には広場と周りを取り囲むように桜の木があり、ニノ郭には梅林があります。
毎年3月には赤塚城址と隣接する赤塚溜池公園で「赤塚梅まつり」が開かれ、城跡の広場では古式武術や鉄砲の演武、野点、太鼓の演奏などの催しが行われています。
普段は近くの人が犬を連れて散歩していたり、静かでベンチに座ってゆっくりできます。
名前 |
赤塚城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
冬の好く晴れた日に伺いました。
本丸跡に簡単な説明がありますけど、遺構は確認しずらいです。
楓が陽を受けて綺麗でありました。