比較検討を徹底的に行っていることに見てとれる。
安藤広重浮世絵美術館 / / / .
名前 |
安藤広重浮世絵美術館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3933-8884 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
安藤広重の主張に対する自分の自信のほどは、安藤広重の絵55枚(出発点の日本橋+53次+終点の京都)を下段に、それぞれに対応する江漢の絵55枚を上段に並べて、比較検討を徹底的に行っていることに見てとれる。
しかも、これら110枚全てがカラーなのだから、浮世絵に興味を持っている者には堪えられない。
自分の検証は緻密で多岐に亘るが、その主張は3点――①両者の絵がこれほどよく似ているのは偶然とは言えない、②江漢が亡くなったのが1818年、広重の「東海道五十三次」が刊行されたのが1833年だから、江漢の方が広重の絵を手本にしたという考え方は成り立たない、③広重は東海道を旅したことがないから、手本無しに「東海道五十三次」を描くことはできない――に要約することができる。
だからといって、江漢の浮世絵を広重の行為が盗作だと非難しているわけではない。
浮世絵制作は、絵師の描いた絵を元にして彫師(ほりし)が版木を彫り、それを摺師(すりし)が版画作品として最終的に仕上げていく共同作業であり、絵師が他人の絵を手本にして絵を描くことは当時の常識であったからである。
自分は、広重が東海道を歩いていない以上、風景画家としての才能ではなく、類稀なグラフィック・デザイナーとして評価されるべきだと述べている。
広重の手によって、より親しみ易く、ユーモアたっぷりに、そして、版画の特性を生かしてアレンジされた「東海道五十三次」は、当時の庶民のガイドブックとして人気を博し、ゴッホやピカソらに大きな影響を与え、今なお私たちを魅了してやまないのである。
「東海道五十三次」や「富士三十六景」の絵師安藤広重はまたの名を歌川広重と言い実は同一人物なのです。
安藤は本名広重は号で元々下級武士で定火消し同心でした。
本人が歌川派に学んだことから歌川広重と号したとされます。
広重の版画はヒロシゲブルーと呼ばれ欧米や諸外国でも大人気で印象派の画家やゴッホにも強い影響を与えています。
北斎と並ぶ日本が生んだ国際的なスーパースターなのです。
行き違い等々の切はご容赦下さいませ。
本所亀沢町6代末孫。