天気の良い日の散歩途中に立ち寄りました。
やままさ醤油醸造所のレンガ塀 / / .
壁だけだが残っているので、イメージが湧く。
駐車場(?)の片隅にひっそりと。
やままさ醤油醸造所この前に建つ関東財務局中野住宅になっているところでしょうから、一周400m、8500平米という広さ。
その名残だけどよく保存したものだと思います。
レンガ塀の前は小公園になっていて、ブランコと滑り台がしつらえていあります。
小さめの公園的な場所。
トイレは無い。
公園に壁面だけが残っている。
しかしながらこの姿を見ているだけでも当時のことを思い出させる場所でもある。
それにしても中野区には歴史を感じさせる史跡が非常に多い。
多くの方に中野区に来て欲しいと思うし、中野区ももっとアピールしても良いのではと思ったりもする。
時間の許す限り、命の許す限り、中野区の多くの史跡を巡ってみたいと考えているのだがどうなることだろう。
世界から沢山の外国人の方々が中野区にやってくることがあるかどうか分からないが、期待して待ちながら情報を発信していく。
公園の片隅にですが、現物展示されてました。
レンガ塀としては、イメージ的に小さいですが、カッコ良いですね。
歴史の一部として、末永く保存してほしいですね。
素晴らしいモニュメントです。
風格がありました。
驚くばかり。
CARPARKの3.2倍の刺激。
(原文)Awesome. 3.2 times more exciting than a CARPARK.
遺構の一部と説明板があり、説明板には下のように書かれてました。
このモニュメントは、明治初期創業のやままさ醤油醸造所のレンガ塀の北側一部を移設したものです。
建造は、1889年(明治32年)と推定されます。
中野での初期洋風レンガ構造物をいわれている浅田銀行本店を手掛けた、中野在住の棟梁と弟子達によって醸造所の蔵とともに築かれました。
石灰、海藻の「つのまた」、砂などで固める日本の伝統的なしっくい壁の技術とフランス積と言われるレンガ積み工法で造られています。
当時、レンガ塀の築かれた青梅街道沿いは、中野の商工業の中心地として賑わっていました。
また、ミソ、醤油の醸造は、蕎麦粉製造と共に中野の代表的な地場産業でした。
明治から太正にかけてこのあたりにあった山政醤油醸造所のレンガ塀です。
当時の山政醸造所はこのレンガ塀の辺りから青梅街道を越えた桃園小学校辺りまで続いた広大な敷地だったそうです。
名前 |
やままさ醤油醸造所のレンガ塀 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
天気の良い日の散歩途中に立ち寄りました。