神田川の橋の袂にある有名な歌の碑です。
神田川ほとりにある歌碑。
桜をの中を散策し、しばしの休憩にちょうど良いポケットパークのなかに設置されています。
あたりにはこの歌詞に出てくるようなアパートも見られ、昭和にもどった気分が味わえます。
ずるいぞ中野区。
何でここに歌碑があるのかなぁ? 本人の許可取ったのかなぁ。
以前本人から、舞台は面影橋辺りと伺ったが。
まぁ、銭湯の背景画もそうだけど、あくまで作品は心象風景だから、間違いではないが、でも歌碑あればここがそうかなと思ってしまうよね。
作詞をした喜多條忠さんが住んでいたのは豊島区高田3丁目の戸田平橋のそばのアパートで、高田馬場駅の北東、新目白通りの手前、その付近の情景を歌詞にしたといわれています。
神田川の歌碑がなぜ中野区にあるのかは不明ですが、ツツジの植え込みのそばにひっそりと建てられています。
桃園川の暗渠と末広橋の交差するところです。
80年代まではこの辺りから面影橋にかけて歌詞にあるような雰囲気の小さなアパートや横丁の銭湯がたくさんあって学生さんもたくさん住んでいました。
今はマンションが建ち並んで様変わりが激しいですが、ここは懐かしい昭和の記念碑のひとつですね。
桜の季節にはまわり一面花が咲き誇ります。
今でも神田川たもとに営業している銭湯は世界湯(高田馬場3丁目、宮田橋のたもと)があります。
昭和の夜の風景が垣間見られるかも。
特に、何が有るというわけでもなく、ただ道の端に雑草に埋もれて歌碑があるというだけなんですが、目の前の川が神田川なんだなぁとか思うと、フォーク世代なので多少感傷的になりました。
桃園川緑道と神田川の合流部、神田川にかかる大久保通りの末広橋のたもとに歌碑はある。
「窓の外には神田川」と歌われる場所がここだとの確証はない。
が、1970年代、東中野から北側の神田川沿いは「3畳一間」のアパートなど、安アパートがぎっしりと軒を連ねていた。
歌詞とそう矛盾はない。
神田川は、幾たびかの水害にみまわれ、国の激甚災害に指定され、河川の改修工事がすすめられている。
河川の拡幅や河床の掘り下げに加え、遊歩道が整備され、昔の「神田川」の姿はない。
遊歩道には桜やハナミズキが植えられ、健康遊具の置かれた公園やトイレが整備され、四季を通じてジョギングや散歩を楽しむ人たちの姿が見られる。
名前 |
神田川歌碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3228-5433 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.visit.city-tokyo-nakano.jp/attractions/park/12960/ |
評価 |
3.4 |
神田川の橋の袂にある有名な歌の碑です。