子供の頃は冬に氷が張っていました。
徳川家康がこの池で乗馬用のムチを洗っていた事から『策(むち)の池』と呼ばれる池の畔にこちらの「津の守弁財天」が祀られています😊津の守(つのかみ)というのは言うまでもなく「松平摂津守」から来ている名称だそうで、荒木町東側にも『津の守坂』という名前の坂も残っていますよ👍
江戸時代、美濃国高須藩主松平家上屋敷の庭園にあった大きな池に注いでいた滝の部分だけが残った、そのものである。
テレ東の池の水ぜんぶ抜く大作戦の企画はこの池をさらった鉄腕ダッシュが元ネタだ。
屋上菜園に使う土を池の富栄養化したヘドロからつくろうという話だったと思う。
ここのヌシである巨大すっぽんは今も健在らしい。
Tsunomori Benzaiten-Sha Shrine is located in the central part of Araki-cho. You need to take narrow walk paths surrounded by tall buildings to get here. This area was the property of Setsu Domain's kamiyashiki in Edo period. The first Shogun, Ieyasu, is said to have visited this place on his way back from hunting using hawks and washed his hunting tool in a pond. The pond still remains and is called as “Muchi-no-Ike”. This is a unique small place that will make you feel some flavor of Edo.荒木町の奥まった場所に、小さな池と弁財天がありました。
表通りから狭い路地道を進まないと辿り着けない場所です。
江戸時代、この付近は摂津の守の上屋敷で、屋敷内には池や滝のある庭園があったそうです。
徳川家康が鷹狩りの帰途にこの場所に立ち寄り、泉水で策(むち)を洗ったと伝えられる「策の池」が残っています。
金ぴかの「策の池」説明パネルが設置されています。
津の守弁財天はビルに囲まれた狭い空間ですが、江戸の雰囲気をチョッピリ感じさせてくれる場所です。
2017/10/18飲み屋街・四谷荒木町からちょっと外れた所にある津の守弁財天。
策(ムチ)の池というのがあり、その一角に祀られてます。
独特の雰囲気があって面白いタイプなのでおすすめです。
住宅街の奥にある霊験あらたかな池で荒木町が花街のきっかけを作った池🍁🍁この池は徳川家康がムチを洗った事でも知られているので歴史にも縁がある所😃だけど何だか池は悲しそう雰囲気がした・・・。
スリバチ地形の荒木町。
周りには5つの階段と1つの坂があり、スリバチ地形の底の部分にいることを実感できる場所。
染井吉野がまだ2、3分咲きの頃、弁財天のほとりにある高遠小彼岸桜は満開を迎え美しい!
住宅街の奥にある霊験あらたかな池で荒木町が花街のきっかけを作った池🍁🍁この池は徳川家康がムチを洗った事でも知られているので歴史にも縁がある所😃だけど何だか池は悲しそう雰囲気がした・・・。
子供の頃は冬に氷が張っていました。
時々落ちる子もいたりしましたね。
ところで、池に行く途中の石段の石についてですが、あの石は四谷を走っていた都電が廃止になったときに都電の敷石だったものを再利用したものだ、と聞いたことがあります。
たしか、テレ東の番組だったかな?
スリバチ地形の荒木町。
周りには5つの階段と1つの坂があり、スリバチ地形の底の部分にいることを実感できる場所。
染井吉野がまだ2、3分咲きの頃、弁財天のほとりにある高遠小彼岸桜は満開を迎え美しい!
平成28年11月23日水曜日訪問。
金丸稲荷神社のすぐ近くです。
途中の石段が何とも風情がありました。
我が街市川行徳地区ではも見受けられません。
私の訪問したことの無い地域には、このような未知の世界を楽しむことができます。
但しスツポンのアラちゃんは不在でした。
それが心残りです。
次回に期待しましょう。
名前 |
津の守弁財天 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
金丸稲荷神社にある案内立て札に従って細道を進むと突き当りに廃業した料亭「千葉」の御門があるので、その前の右に入っていく階段坂を道なりに下りるとすぐに津の守弁財天があります。
池のほとりの岩の上に、弁財天様が鎮座しています。
祠も境内も手入れがされていてきれいです。
こちらは宗教法人解脱会の所有とのことで、説明板にも解脱会の名があります。
『ザ!鉄腕!DASH!!』のカイボリでちょっとした話題になった池があります。
策の池です。
説明板によれば、江戸時代にはこの辺り一帯が美濃国高須藩主松平家の上屋敷で、屋敷内の池泉回遊式庭園には、湧水や玉川上水から取水した大池や滝があったそうです。
当地には徳川家康(1543~1616)が鷹狩りの帰途、泉水で策を洗ったという「策の井」伝承があることから「策の池」と呼ばれ、現在残っている池はその一部だそうです。
暗い時間だったので、撮影するには暗かったようですが鯉らしき姿は見えました。