円墳または前方後円墳だったといいます。
実際の古墳の位置は早大9号館のあたりで、円墳または前方後円墳だったといいます。
当時水稲荷の境内で、その後円部を利用して安永9年に都内最古の富士塚が開かれ、高田富士と呼ばれていました。
前方部らしきところには浅間神社が建てられてたとのこと。
現在説明板のある場所は水稲荷のあった場所です。
昭和38年に水稻荷は早稲田大学との土地交換で、現在の甘泉園の一画へ移転しています。
またグランド坂上から都道飯田橋石神井新座線造成工事の際に円墳の痕跡が2基見つかっているそうです。
正門から9号館脇を通るよりも早稲田通りに面した第3西門から入るとすぐの場所です。
古墳群を妄想するとわくわくしますが説明板しかないので☆3つです。
大学の近くに古墳があったとは。
ここに円墳があったそうです。
名前 |
富塚跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/collection/shinjuku-collection/shiseki/552/ |
評価 |
3.3 |
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人通りの少ない所にひっそりとあります。
このあたりは、昭和41年(一九六六)に甘泉園内に移転するまで水稲荷神社の敷地でした。
神社の境内には、富塚という古墳(円墳)がありましたが、戸塚の地名の起源は、この付近に塚(古墳)が多く「十塚」「百八塚」などと呼ばれたからとか、そのうちの一つである富塚に因んだ、など諸説あります。