言われる八幡鮨の所に案内板がある。
看板があるのはお寿司屋さん。
実際の場所は裏側の茶屋町通りのクリーニング屋さんの処。
そこにあった石碑はすぐそばの水稲荷さんの入り口階段の処に移動しています。
JRの駅名は「タカダ」の馬場、となっているが、正しくは「タカタ」の馬場だ。
鉄道院時代に駅を作るときに、田舎っぺの役人が、清濁気にせず、濁らせたらしい(と、以前書いたら、Wikipediaにも永井荷風の『断腸亭日乗』を引いて、同様の趣旨の推定が書かれているのに気が付きました)。
本当に小役人は、文化を理解しない奴らである。
講談で有名(最近そうでもないですか?)な「中山安兵衛高田馬場の駆付」だって、「タカタノババ」と読まなけりゃ締まらない。
みなさま、JRに負けぬよう、よろしくお願いします。
名前 |
高田馬場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
西早稲田3丁目1.2.12.14番を含む長方形の土地が、江戸時代の高田馬場跡です。
馬場は寛永十三年(1633)に造られたもので、旗本たちの馬術の練習場でした。
また、穴八幡神社に奉納するため催された流鏑馬などが行われ、将軍の供覧に入れたところでもありました。
西早稲田交差点に建つ、お寿司屋さんの壁に案内板があります。