人通りの多い交差点の近くにあります。
都電クイズラリーのポイントになっていて何度も漱石山房記念館には行っているのに初めて行って来た。
早稲田駅の直ぐそばだった。
次のポイント向かう途中直ぐそばの法輪寺で素敵なご朱印いただいた。
やよい軒の脇にありました。
石碑とともに、夏目漱石に関する色々な情報が書かれていたので、それらを詳しく読みたかったのですが、人通りも多い場所でゆっくり眺めることができなかったのが残念でした。
オシャレでないと訪問する方の幅が広がらない。
だから致し方ないのかも。
故に奥深さはなく、貴重な資料などはありつつも、やはり拍子抜けする。
でも入場料300円だしね。
原稿用紙をモチーフにしたTシャツを思わず買いそうになった。
一見すると居心地の良さそうなカフェが併設されている。
もう少し軽い入口ながらも、文学の深さを味わえる感じだと勝手に思ってしまっていた。
まぁ実際に本を読めばわかるのだからこれでいいのか。
夏目漱石は、江戸時代末(慶応3年、1867)、牛込馬場下横町(いまは喜久井町)の名主、夏目小兵衛の五男として生まれた。
養子に出されて浅草に住まい、ロンドンや松山や熊本にも暮らしたが、最後はこの牛込に戻って作家生活を送り、没した(そこにいま、新宿区立漱石山房記念館が建てられている)。
メトロ早稲田駅の西口を降りて、夏目坂に登り始めるその取っ付きのところ、ビルとビルの合間にある。
かなり狭い区画の中に、碑と説明看板と句碑が詰め込まれているので、正面から写真を撮ると、看板と句碑は半分隠れるし、隣のチェーン店の飲食店のメニューが写り込む。
碑と説明板が建っており、説明板には下のように書かれています。
夏目漱石(本名金之助)は、慶応三年(1867)一月五日に、夏目小兵衛直克と千枝夫妻の五男三女の末っ子としてこの地に生れた。
夏目家は、牛込馬場下横町周辺の十一ヶ町をまとめる名主で、喜久井町の名は夏目家の家紋「細井筒(ほそいつつ)に菊」に因んで名づけられ、夏目坂も夏目家に因んで命名されたという。
漱石は生後間もなく四谷の古道具屋へ里子に出されたが、すぐに生家にもどり、再び内藤新宿の名主塩原昌之助の養子になった。
九歳のとき塩原性のまま実家に戻り、二十一歳のとき夏目家に復籍している。
この地での幼少期のことは、大正時代に書かれた随筆「硝子戸の中」に詳しく記されている。
この記念碑は昭和四十一年81966)に漱石誕生百年を記念して新宿区が建立したもので、題字は漱石の弟子安倍能茂(よししげ)の筆になる。
漱石山房記念館からの帰り道に寄りました。
店舗と店舗の間に狭そうに建っています。
設置した時のと、昨年追加で設置された説明板などがありましたね。
漱石公園に記念館ができたので行ってみる前に立ち寄ってみました。
石碑と説明があるだけですが、牛込界隈には漱石縁の地がいろいろあるので、漱石ウオークの出発点にいいとおもいます。
名前 |
夏目漱石誕生の地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
地下鉄東西線早稲田駅直ぐ側夏目漱石は両親が年配になってからの子供で特に母親は面目ないと思ったらしいですが自分もそれ以上になったものの頑張らないと孤独死で歌舞伎町のコンカフェでキャストと会話して交通費節約で夏目坂を歩いて下り地碑を見ると何やってるんだとも今更そんな教養がともなります、隣の酒屋は忠臣蔵所縁。