乃木神社に参拝したときは必ず立ち寄る。
中に入れませんが、窓から内部を見れるように二階の高さに歩道が整備されて説明板が用意されています。
窓から見るので階段や調度品等は確認できませんが、窓ガラスの波打ち具合からほぼ手を入れずに保存されてる様です。
外壁は一階が大谷石、二階が黒い板張り、屋根は瓦葺です。
斜面に建てられているので一階部分が掘り下げのようになっています。
生活は二階が主体、一階は土間といった使い方になります。
北向きの棟下に窓がついていたので屋根裏部屋があります。
二階が上げ下げ窓なので洋館っぽいのかと思っていたのですが、室内は畳張りが主体で構成されていました。
が、畳の部屋に石炭式と思われるマントルピースがありました。
ここだけは洋館っぽいです。
建築当時の煙突が近くに公開されてるのでガス式では無く煙が出る何かしらを燃やしています。
サイズから薪ではなさそうです。
マントルピースの周りがわずかに板張りになっていましたが、駄目だろコレ。
ガス式だとしても数センチ先に草は安全性ガバガバです。
施主の希望で作った感があります。
立場からもっと豪奢な洋館を予想していたのですが、質素な邸宅でした。
内部公開は年に3回程度のみ。
普段は外観だけ見学できる。
外の景色が映り込んでよく見えないが大将自刃の間等の解説書きがされている。
万感胸を打つ場所です。
明治天皇崩御のあと、静子夫人と殉死した居室などを拝見することができる。
辻占の少年の頭に手を置く大将の像には逸話の説明があり、大将の人と成りに触れることができる。
建物の中に入ることはできないが、大将の暮らしを伺うことができる大変貴重な文化財。
旧乃木邸の公開時に行ってきました。
年3会公開しているそうです。
乃木希典は日露戦争で第三軍司令官(大将)を務め、旅順攻囲戦を指揮、奉天会戦に参加しています。
203高地で息子さんを亡くされています。
この邸宅で奥様の自決されており、公開ではその部屋や当時来ていた服も展示されていました。
こじんまりした邸宅は機能的です。
明治時代に活躍した陸軍大将の乃木希典の旧宅です。
乃木希典は、長州藩(山口県)出身の日露戦争で活躍した軍人です。
明治天皇が崩御された際に、天皇に忠義を尽くして、殉死しました。
その際、跡地が当時の東京市に寄付され、現在に至っています。
周辺には、乃木希典を祀る乃木神社や乃木坂など地名として残っています。
邸宅は、乃木坂を上がって青山方面に向かって歩いたところにあります。
明治時代の住宅を見ることができます。
You should come and see colored leaves in early December🍁 there is in the middle of busy Tokyo but you can feel very calm moment. And you could learn more about old traditional Tokyo scenery. Enjoy 😉 12月初旬のこの時期、毎年、綺麗にもみじや木々が色付いています。
人もまばらで、静かに散策できます。
紅葉だけでなく、木々を覆う苔などで心洗われる瞬間です。
いつもお庭に魅せられて、未だ母屋は訪れられてません。
乃木坂駅が最寄駅だと思いますが、天気の良い日は六本木のミッドタウンから歩けば、ちょうど良いお散歩距離だと思います🚶u200d♀️
日露戦争を戦った乃木希典旧陸軍大将が暮らした自宅が青山一丁目から六本木までの外苑東通り沿いの中間地点乃木坂にあります。
r年一度の公開を除いて普段は邸内非公開となっていますが敷地内立ち入りは可能となっています。
旧乃木邸の周囲には見学用に外通路が設けられて外から旧乃木邸内部を見ることができます。
r敷地の外の外苑東通りからは煉瓦造りの壁が見えて一見立な屋敷のように思ってしまいますが、この煉瓦造りの建造物は大事にしていた馬の厩舎です。
門の左手奥に立つ旧乃木邸は、当時とすれば大きく立派だったのかもしれませんが、現代日本に住む私たちの感覚だと必ずしも大きいとは言えない平屋の質素な木造住宅です。
r外通路から見られる旧乃木邸内部には、乃木大将夫妻が軍刀を使って自害した部屋も含まれます。
乃木大将の最期を想い、現在の日本に生きていることに感謝してしまいます。
rこの旧乃木邸の隣には乃木大将を祀った乃木神社があります。
明治神宮への参拝のあと、少し足を伸ばして乃木神社と旧乃木邸を訪れてみるのもいいです。
乃木神社に参拝したときは必ず立ち寄る。
元々乃木希典陸軍大将の邸宅の一部を死後に有志により乃木大将夫妻を御祭神として祀ったのが当神社の始まりである。
建築はフランス陸軍様式の質素な造りだが、一階部分が半地下になっていて興味深い構造である。
例大祭の9月13日(乃木大将夫妻の命日)と前日は建物内部に入る事が出来る。
今年こそ内部に入ってみたいと考えている。
日露戦争の旅順攻囲戦で長男と次男を相次いで亡くしながらも旅順要塞を陥落させ、明治天皇崩御の後に自ら殉死された陸軍大将 乃木希典の邸宅です。
訪れた日は奇しくも乃木大将の命日で旧乃木邸内を拝観出来ました。
入場時にフォトカードをいただきました。
邸宅内は板張りの質素な造りで実直な乃木大将の性格を表しているようです。
ご夫妻の自害当時の着衣や部屋が見れます。
邸宅内は保護の観点から撮影禁止ですので記憶に残しましょう。
厳粛な気持ちになります。
明治天皇崩御の際、大葬当日に殉死した陸軍大将乃木希典の邸宅跡です。
水師営の棗の木、旅順で戦ったステッセル将軍ゆかりのもの、乃木夫妻自刃の部屋など非常に興味深いです。
忠臣 乃木希典の真髄に触れたければ絶対行くべきです。
乃木大将の旧邸、明治の帝国軍人なのに西洋建築なのは意外と思ったけど、まだアジアの小国に過ぎなかった当時の日本の将校は、軍事の先進国である欧米に留学経験ある人物が多く、西洋式の生活には慣れていたのでこのような邸宅を好んだのかも毎年5,9,11月に内部の公開日が設けられているそうで、乃木が自刃した部屋も見学できるみたいです。
明治の軍人乃木大将の邸宅が残されています。
例年9月12日と13日に邸内が公開されています。
軍人の家らしく、飾り気がなく質素かつ合理的に作られています。
名前 |
旧乃木邸 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~16:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
乃木神社に隣接する乃木大将の邸宅跡ですが、良く保存されていました。
乃木大将の人柄が偲ばれます。