社の側面に由来書きがある。
厳かですね左右のお稲荷さんの像、シュッとしていいお顔ですね。
小さな神社です。
入り組んだ路地にあり、少し見つけづらい場所にありました。
可愛いお宮さんです。
もしかしたら、昔はどこかの屋敷内の神社だったのかな?なんてね^_^;僕は好きです。
この近くは何度も通っていますが神社があるとは全く知りませんでした。
グーグルマップのおかげでお参り出来ました。
住宅街の中で、ちょっと見つけづらいようなところにあります。
ようやく見つけたら・・・なんとまあ可愛らしいというか、コンパクトなのに全てが揃っているというか、ステキなお稲荷さんでした。
小さいけど素敵な神社です。
探したけど見つからないので諦めた瞬間にありました。
こんな住宅地の下り坂の方に無いよね~。
名前 |
中守稲荷神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.0 |
社の側面に由来書きがある。
以下に現代誤訳を載せる。
『中森稲荷畧緑起』そもそも当神社は往年の鈴木丹後守の屋敷跡であったが、この土地を管理する者は疾病を罹ったり、病没することが少なからずあったと伝わる。
明治初年に至り、中橋茂右衛門という人物がこの土地の管理に当たったときもまた病魔に襲われた。
その際に、毎夜白髪の老人が枕元に現れ、「我は鈴木丹後守に置き忘れらし稲荷大神なり。
新たに社殿を造り献じたならば、汝の病気は速やかに全快するだろう」と言って退き去ったということである。
当時、現在の稲荷社があった附近には一町(約120m)四方もあろうかと思われる竹藪があり、その中に鎮座していたものといい伝えられていたが、いままで一度も改修されたことがなかった。
そこで、中橋茂右衛門氏が社殿を建立して奉献したところ、立ち所に病気が全快したので、この霊験を尊び、日夜祈願を怠らなかったという。
その後昭和八年に至り、町内の篤志家である山崎治郎氏が御影石の鳥居を一基奉納し、次いで昭和九年に町内の有志等の協力により町内衆庶の無病息災家業繁昌子孫長久祈願し、日夜崇敬を疎かにしない所以であり、ここに当神社の由来を記録して後昆に伝えるのである。
昭和九年六月吉日御社殿改築際書。