「喰違木戸跡」という碑が建っている。
夜景はなかなかいい感じです階段を登るとよく見えます。
ホテルニューオータニ正面から、少し逸れた場所に案内板が立ってます。
一見変わった名称ですが、その昔は重要拠点の一つであったようです。
東京のど真ん中の秘境。
この近くの遊歩道から路上富士が見えます。
今じゃ外側の方がステイタス高。
ここも抜け感のある都心の風景が広がる。
岩倉具視が襲われた場所でもあるらしい。
写真を撮ってる人が多かったが、何かのロケ地だったのだろうか。
四谷駅前から外濠の遊歩道を弁慶橋に向かって歩いていると、「喰違木戸跡」という碑が建っている。
「えっ、喰違い、これはいったいナンだろう」と不思議な名前にビックリした。
喰違とは地名ではなく、外濠に土塁を交差させた所をそう呼ぶようです。
付近の道がジグザグに曲がっていることから名付けられたという説もあり、いずれも定かではありません。
外濠の上だから見晴らし良好、時を知らせる聖イグナチオ教会の鐘の音が聞こえてくる、都心にいることを忘れる静かなオアシスです。
下の道は紀尾井坂、それを下れば清水谷公園はすぐ近く、あたり一帯、散歩するにもいい所です。
こちら方面へお出かけの折には、ぜひ立ち寄って下さい。
おすすめです。
昔の歴史を感じることができました。
★外苑の花火を鑑賞する最適なスポット★外堀土手からは神宮の花火が大変奇麗に鑑賞できます。
意外と知られていない穴場ですが、わたくしも当地が地元の友人から聞いて行ってみました。
確かにとてもよく見えて素晴らしい体験でした。
注意するポイントとしては、是非虫よけをご利用ください。
夜は結構蚊がいます。
うっかりやられてしまった際の応急措置として虫刺されの薬もお持ちになると良いでしょう。
花火の開始前には、こちらより上智大学方面まで移動してみてください。
ちょうどよい地点がみつかるはずです。
神宮球場のアナウンスすら聞こえてきます。
虫よけ対策をしたうえで、カップルでのご利用をお勧め申し上げます。
堀に挟まれた土橋。
往時を偲ぶには知識と想像力が必要かも。
遺構の残り具合や周囲の様子は正に江戸時代。
うっかり通り過ぎないように。
すぐ土手の上にはブラタモリで紹介された倉庫があります。
歴史好きなので楽しめました。
景色を見るだけでも楽しいともいます。
地理好き、地学好きにもお勧めします。
都心の中で新旧の景色が楽しめる場所。
歴史好にはいいでしょう。
ホテルニューオータニのすぐ近く。
お堀、赤坂御所、青山を見渡せる絶景スポット。
夜景もまた幻想的。
上から見ると食い違い構造がよくわかります。
説明板があるだけでした。
説明板には下のように書かれてます。
左手の喰違見附跡は、江戸時代初期の慶長17年(1612)に甲州流兵学者の小幡景憲(おばたかげのり)によって縄張りされた伝わる、江戸城外郭門のひとつです。
通常江戸城の城門は枡形門と呼ばれる石垣をめぐらしたものとなりますが、ここは土塁を前後に伸ばして直進を拒むという、戦国期以来の古い形態の虎口(城の出入り口)構造となります。
この地域は、二つの谷に挟まれた、江戸城外堀の中では最も高い地形に立地するため、寛永13年(1636)築造の江戸城外郭門に先駆けて、江戸城防御の要として構築されたと考えられます。
現在は一部土塁が削り取られているものの、その形状は保存されており、往時の様子を留めています。
この遺構は江戸城築城史を捉える意味で重要です。
ここもナイスビューポイントです。
「国史跡 江戸城外堀跡 喰違見附」喰違見附は外堀構築1636年に先立つ1612年慶長17年に甲州流兵学者の小幡景憲によって縄張りされたと伝えられる江戸城外郭門の1つ。
土塁を前後に延ばして直進を阻むという戦国期以来の古い形態の虎口(城の出入口)構造となっている。
通常の江戸城の城門は枡形門という石垣を枡形に巡らしたものだが、この喰違見附は門と石垣を使わず、土塁を互い違いに築いて敵の直進を阻むようにした。
ここは江戸城外濠の中でもっとも高い地点であるという。
「江戸切絵図」を見ると喰違見附から城下に入って紀尾井坂の坂上の右側に井伊掃部頭、左側に尾張殿、坂下右側に紀伊殿、とある。
「紀尾井坂」はこれらの屋敷の頭文字に由来する坂名である。
名前 |
喰違見附跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
ここだというピンポイントの跡は無いようなのですが、説明の掲示板がありました。
紀尾井ホールの向かい側にある丘が喰違見附跡です。
枡形門ではなく、土塁による虎口構造だということです。