豊川稲荷東京別院すぐ近くにある坂です。
「くろぐざか」と読みます。
坂下で彈正坂と交わり、坂上で青山通りと交わる、緩やかで短い坂道です。
江戸時代には西側が(火消しの人たちの住む)定火消屋敷、東側が赤坂表・裏伝馬町二丁目。
地面が鱗状であったことから、坂沿いは鱗店(うろこだな)とも呼ばれていました。
豊川稲荷東京別院の脇を緩やかに下る長い坂。
くろぐと読む人が住んでいたことが由来。
付近に鉄砲の練習場があったので、鉄砲坂の別名もあります。
くろぐざか港区元赤坂 赤坂御用地近傍豊川稲荷東京別院沿いの坂江戸時代の一ツ木町名主秋元八郎左衛門の先祖九郎九が住んでいて坂名になった鉄砲練習場があって鉄砲坂ともいう。
碑が建っており、下のように書かれてました。
江戸時代の一ツ木町名主 秋元八郎五右衛門の先祖、九郎九が住んでいて坂名になった。
鉄砲練習場があって鉄砲坂とも言う。
豊川稲荷東京別院すぐ近くにある坂です。
江戸時代の一ツ木町名主秋元八郎左衛門の先祖、九郎九が住んでいて坂の名になりました。
鉄砲練習場があったそうで鉄砲坂ともいう。
名前 |
九郎九坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.minato.tokyo.jp/kyouikucenter/kodomo/kids/machinami/saka/58.html |
評価 |
3.6 |
豊川稲荷東京別院の東側の坂道。
常夜灯が灯されている時間はいい雰囲気です。