手塚治虫が郷里宝塚から東京へと拠点を移して最初の仮...
まだ住んでる方がいるとのことで、遠目で眺めるだけにして帰りました。
文化財として保存して、いずれ中が見れるようになるとうれしいと思います。
手塚治虫が住んでいたアパート。
有形文化財です。
現在も住人がいる為なかに入ることはできませんが、YouTubeで中の様子が見られます。
看板がないと、分からないよね~
昭和30年ごろ、手塚治虫さんが2年住んで居たという。
何回も改築しているが、見た目はほぼ昔のまんま。
なんと今は誰か住んでいるそうな。
並木ハウスに入る前の道は並木通りと言って、樹齢400年、600年とも言われるケヤキの木がある。
ぜひそちらも見て頂きたい。
近くに案内所もあります。
けやき並木から1本路地に入った先にある…一見普通のアパート。
しかし実はここ、漫画の神様手塚治虫がトキワ荘を出た後、3年間暮らした伝説のアパートなのです。
築60年の登録有形文化財。
11の部屋は現在も住居や事務所として使われています。
手塚さんが超売れっ子の時代を過ごした210号室。
上京間もない石ノ森章太郎や赤塚不二夫。
そして藤子不二雄が訪れていました。
この部屋で生み出されたのが『リボンの騎士』や『鉄腕アトム』。
現在はグラフィックデザイナーのお母さんと漫画アシスタントの娘さんの仕事場です。
2人が引っ越してきた時、不思議なことがありました。
サファイアの帽子を被っていた妖精さんを見たそうです👒もしかしたら手塚治虫も、ここで同じ妖精を見たのかもしれません。
雰囲気がすごくいいところ。
ここを見るだけならほんの数分くらいで終わってしまうけど、近くに鬼子母神があったり観光スポットがたくさんあるのでついでで行ける。
昭和の残り香が漂う街角。
クランク状の路地が如何にも。
沢山の猫が私の姿を見て、引き潮の様に逃げる。
飼いならされていない猫たちとは、どうも一緒に遊べない様だ。
並木ハウスとトキワ荘、なんとなく似ている気もする。
鬼子母神に行く際に話のネタに行くと良いかもしれません。
たくさんの路上猫がいて癒されます。
実際にマンガを読んだ事の無い自分ですが、手塚治虫という名前は知っています。
そして たくさんの漫画家が住んでいたいという トキワ壮 という建物の名前も。
今回はそのトキワ壮の後に、本当に短期間だけ住んでいたいう 下宿先に行ってきました。
実は、鬼子母神堂に行く途中にあるので、寄っただけです。
ファンの方 申し訳ありません。
感想として ここに住んでたんだ~ というベタな感想です。
昭和20年後半という事もあり 古いのですが、どことなくお洒落にも見えます。
訪問時 周辺はごく普通の民家なので、マナーを守り訪問される事をおすすめいたします!
以前散歩番組で訪れた並木ハウスです、手塚治虫氏が1954年10月から南長崎のトキワ荘から転居し2年余り暮らしたアパートで当時の家賃は3000円で現在の家賃は3万円位で現在漫画に関係がない若い方が住んでいます!その後手塚治虫氏は1961年に池袋駅東口.現在の丸善書店の斜向い辺りのビル(1.2Fは家電量販店の旧第一家電)で東映動画の協力元に日本初のテレビ用30分アニメ「鉄腕アトム」の制作会社「虫プロ」を立ち上げました、現在の虫プロは練馬区富士見台に移転しました!また豊島区南長崎(旧椎名町)の花咲公園にトキワ荘の復元が決まり完成は2020年3月開館予定です、アニメファンの方は楽しみが増えましたね!
実際にマンガを読んだ事の無い自分ですが、手塚治虫という名前は知っています。
そして たくさんの漫画家が住んでいたいという トキワ壮 という建物の名前も。
今回はそのトキワ壮の後に、本当に短期間だけ住んでいたいう 下宿先に行ってきました。
実は、鬼子母神堂に行く途中にあるので、寄っただけです。
ファンの方 申し訳ありません。
感想として ここに住んでたんだ~ というベタな感想です。
昭和20年後半という事もあり 古いのですが、どことなくお洒落にも見えます。
訪問時 周辺はごく普通の民家なので、マナーを守り訪問される事をおすすめいたします!
手塚治虫といえばトキワ荘が有名ですよね。
この下宿でどんな作品が描かれたのでしょう?紹介するほどの場所なんですか?
鬼子母神参道内のキアズマコーヒーの建物の裏に入ったところに、真新しい住宅街のなかにあります。
静かな佇まいで手塚先生も作画に集中できたことでしょう。
ゴールデンウィークの東京旅で、池袋駅を訪れた時に『鬼平犯科帳』の漫画(原作:池波正太郎。
作画:さいとうたかを)の物語の舞台となっていた鬼子母神を思い出し、参詣することにしました。
池袋のネカフェで宿泊?した小生(私)は、東池袋中央公園やサンシャインCITY 等を散策した後、地下通路を通ってアウルタワー方面に移動、地上に出て都電荒川線-東池袋四丁目駅に停車した路面電車?みたいな車両の運ちゃんに、鬼子母神まで行きたいと訪ねると(運賃等)、その先の線路カーブを曲がった辺りだと言います。
歩いて行けなくもないと言うので、電車は辞めて鬼子母神まで歩くことにしました。
途中の都営-雑司ヶ谷霊園の脇を歩き、線路沿いを15~20分も行くと、鬼子母神前駅(都電荒川線)が見えて来て、そこの踏切を渡って真っ直ぐ行くと、鬼子母神大門欅(けやき)並木参道がありました。
(以外に近いなと思った。
)参道付近で、GMにて 鬼子母神を確認してみると参道右脇に『手塚治虫旧下宿先』の表示があり、鬼子母神参詣の前に立ち寄ることにしました。
(小生は道草が大好き。
)並木ハウスは二階建ての白っぽい洋風?建物(アパート)で、正面2階の左側の部屋が手塚治虫が借りていた部屋だった様です。
手塚治虫がトキワ荘(豊島区椎名町)を出て、1人並木ハウスに移り住んだのが、昭和29年(1954年)の9月頃、26歳の時です。
昭和20年代初期の建築物らしいけど、今もそのままの姿であり、かなり珍しいと思います。
取り敢えずスマホで、小生(私)の旅用キャリーやバック等を入れて、何枚か写真を撮りました。
並木ハウスは、鬼子母神参詣の途中に偶然見付けただけで、事前知識がまったくなかったので、暫く眺めて鬼子母神堂に向かいましたが、手塚治虫の漫画は好きで『火の鳥』『ブッダ』『きりひと讃歌』等、幾つか読んでいたので(事実、Book Off で揃えたコミックを持っている)後日ネット等で軽く、並木ハウスについて調べてみました。
ここから先は、手塚治虫と並木ハウスについての豆知識ですので、少し長くなりますが興味のある方はお読み下さい。
手塚治虫は終戦の年、昭和20年(1945年)7月1日に大阪大学附属医学専門部(現 大阪大学医学部)に入学しますが、この頃は勤学動員ではなく『通年動員』となっていた為、学校へは行かず毎日工場通いをします。
昭和26年(1951年)大阪大学医学部を無事卒業。
『アトム大使』が『漫画少年』(漫画雑誌)にて連載を開始します。
アトム大使では脇役であった『アトム』が、『鉄腕アトム』で主役として長期連載することとなり、出版社のある東京へ昭和27年(1952年)に東京転居します。
初めは、新宿区四谷の四谷駅に程近い八百屋の2階に下宿(24歳頃)しますが、編集者が大勢押し掛ける等で家主に迷惑が掛かる為、昭和28年(1953年)豊島区椎名町の真新しいトキワ荘に移り住みます。
手塚治虫25歳の夏頃のことです。
因みに、四谷の八百屋二階の下宿時代は『四谷快談』を描いていて、怪談を『快談』と替えたタイトルのユーモアな漫画であったとか。
それはさて置き、トキワ荘はこの時 新築したばかりで、『漫画少年』の編集をやっていた加藤謙一氏の息子さんが、真新しいこのアパートを手塚の為に見付けてきたのでした。
しかし、手塚治虫はこの頃 多忙を極めていたらしく、どこかに缶詰めにされていたり、頻繁に実家の大阪宝塚に戻っていたりして留守勝ちだった様で、翌年の9月には雑司ヶ谷の鬼子母神参道脇の並木ハウスに、早々に移住してしまいます。
(漫画製作に集中する為か?)有名なトキワ荘時代は一年足らずと以外にも短く、その上ほとんどが不在であったらしいのです。
(それでも有名漫画家達の、青春時代のアパートであったことは否めない。
)因みにトキワ荘時代は、『リボンの騎士』を描いて人気を評しました。
ついでに、この頃の手塚治虫の年収は二百万程で、トキワ荘の家賃は三千円/月だったそうです。
(このギャップは凄い)それは兎も角、移り住んだ並木ハウスの2階部屋を手塚治虫は気に入っていた様で、昭和34年(1959年)くしくも皇太子殿下御成婚と同じ年、岡田悦子さんと結婚して(31歳の頃)都内渋谷区代々木初台に新居を構えるまで住んだみたいです。
現在も並木ハウスは現役であり、全部で11室ある部屋は全部借りられて満室らしく、手塚治虫の住んだ2階の部屋は、現在はイラストレーターをされている方が住まわれているとのこと。
今でも人気のある、伝説のアパートとして機能していることに驚かされます。
漫画家の卵達(もっと言えば漫画を愛して止まない人達、全てみんな)の本当の意味での聖地とは、この並木ハウスのことを言うのかも?知れません。
並木ハウスは、鬼子母神大門欅(けやき)並木参道脇の住宅街にある為、来訪の際は近所迷惑に成らない様にマナーを守って静かに見学されることを、お願い致します。
トキワ荘に引っ越す前に住んでいたアパート。
宝塚から出てきた手塚治虫はまずここを住まいとしたらしい。
昭和27年、手塚治虫が郷里宝塚から東京へと拠点を移して最初の仮住まいとしたのは新宿区四ッ谷の下宿。
次に豊島区椎名町のトキワ荘に引っ越し、その後、昭和29年10月に移り住んだのが並木ハウスです。
今日近くで仕事があり、近くだったのでよってみた。
変な意味ではなく、こんな所からあんなに凄い作品が出来てるのかと思ったらやっぱり人って気の持ちようなんだなって思った。
昭和のかおりがプンプンしていますね。
ディープな場所。
ファンなら行く価値あり。
その他なら…
手塚治虫がむかし下宿していた並木ハウスです。
来た、と言うためだけに来る場所です。
名前 |
並木ハウス |
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ジャンル |
|
電話番号 |
106 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
🏠登録有形文化財:懐かしい感じのアパート🏠手塚先生のファンとして訪れたかったところ。
昭和30年、あのトキワ荘からこちらへ移られて、3年程創作されていたと聞いた。
建物は木造モルタル造、一部2階建て、瓦葺で、戦後期のバラック住宅として大量供給されたもの、風呂なし・共同トイレの所謂木賃アパートである。
現在では国登録有形文化財に指定されている。
ここにも編集者達が押し掛けてきたのだろうか。
連載を幾つも抱え、編集者が原稿の仕上がりを待つ~何だかわくわくするあの光景が目に浮かんでくる。