その取水流は高台側に流された。
神田上水取水口大洗堰跡 / / .
住みやすい環境だと思う!
説明書きがわかりやすいのと合わせて歳月を経て読みにくく分かり難いものが並べてありこの場所の歴史を感じられて素晴らしい場所です。
江戸時代に井の頭公園から流れる神田川(江戸時代は江戸川と呼ばれてました)をこの関口で堰を作りここから現在の江戸川と神田川に分けていました。
江戸時代の上水は玉川上水の他に、神田上水もあった。
神田川のここから堰を作って一旦、水位を上げ江戸の市中に掛樋で送ったとの説明文が有ります。
この工事に、かの松尾芭蕉も係わり、土木工事を行った。
(全く知らなかった❢) 松尾芭蕉は、元は藤堂藩の武士。
藤堂藩は土木工事に長けていたとの事。
この地に4.年間住み、その作業をしていた❢ とはびっくりしました。
その住居跡が近くの関口芭蕉庵。
是非訪れたい。
こちらには、昔の石碑と大きな石が転がってる位で、当時の様子は良く分からなかった。
昔の取水口、良く白鷺、黒鷺が来て餌を捕っています。
実際にどれがそれなのか分かりにくかったのですが、注意深く周囲を観察していると、道の脇に石の合間を流れる小川があり、それが、神田上水取水口大洗堰跡なのだと気付くことができました!
神田川沿いにある史跡。
西から流れてきた神田川はここで取水されたそうで、その取水流は高台側に流された。
江戸の人々は、これを「神田上水」と呼び、取水された後の神田川を「江戸川」と呼んだらしい。
実際に古地図を見ると、大洗堰を境にして、川の形がジーンズの様な形になっている。
神田上水は江戸川と並走しつつ、水道→水戸藩邸後楽園へと流され、そして水道橋付近の懸樋(川の上にかけられた木製の上水道のこと)を通って、江戸の町に飲み水を供給した。
この情報は区立金富小学校前の説明板でもみられる。
他方、下の方に流された江戸川は途中で右直角にカーブ(現在、ここ川がカーブしている所の地名を「大曲」という)。
そして、飯田橋の辺りで江戸城外堀と合流した。
その合流地点は現在暗渠化されてしまっているので、見ることはできない。
なお、この辺りを関口というが、その地名の由来もここ大洗堰から来ているという。
名前 |
神田上水取水口大洗堰跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.bunkyo.lg.jp/rekishikan/history/machi_c/index3.html |
評価 |
3.9 |
歴史を感じるよね❗