上から見ると展望の良さがわかります。
国道246号線は大山街道とも呼ばれ、地域によっては旧矢倉沢往還と表示されているところもあります。
ここは、その旧矢倉沢往還の出発点となっていて、当時は多くの人で賑わったということです。
人々が集まったのは大山阿夫利神社、大雄山最乗寺参拝が目的だそうです。
地下鉄永田町下車青山通り徒歩2分程度です。
江戸城に直接繫がる街道(大山街道、現在の国道246)の出入り口を守るための番所(見附)だった。
筑前福岡藩主黒田忠之が築造。
石垣が立派。
黒田官兵衛の孫、黒田忠之が担当した石垣、江戸城36見附の中でも高さは1番ではないかと思います。
都会のど真ん中にこの石垣は圧巻、解説版もあり刻印石もはっきりわかります。
国道246号沿いに構える、江戸城の門の石垣部分を積み直し復元した史跡です。
この史跡より駅名の方が有名な気がしますが、近くで見るとかなり迫力がありますね。
高低差も傾斜もかなりあるので、高層ビルが無かった頃は遠くまで見渡せたことが伺えます。
防御の要の見附に相応しい立地だったのでしょう。
石垣をより近くで見たければ、すぐ横の東京ガーデンテラス紀尾井町から遊歩道が石垣上部に向かって続いているので、時間があればそちらからも見てみると面白いと思います。
江戸城に置かれた見張り番所を見附といいます。
主なもので36か所ありました。
堀に架けられた橋と一体的に設置されたものが多いです。
赤坂見附は地下鉄駅の名前にもなっているので有名なのですが、四谷、市ヶ谷、浅草、小石川、牛込にも見附があったそうです。
皆さんの知ってるとおり赤坂見附(あかさかみつけ)とは、「江戸城三十六見附」のひとつです。
この地に存在した江戸城の城門跡です。
現在では東京メトロ赤坂見附駅付近一帯を指す地名にもなっています。
江戸城を守った門の跡地です。
大山道の守備門のようですがマサに現在の246号ですね‼️石垣も保存されているようです。
首都高や国道、高速ビルの谷間に有るシュールな場所です。
赤坂見附にはよく利用するけれど、あらためて「見附」ってなんだ? と思う人もいるのではないか。
「見附」は、煎じ詰めて言えば、お城の要所要所に置かれた見張所のことだ。
江戸城では一口に「三十六見附」と呼びならわされているが、時代によって増減があったりしたようだ。
いずれにせよ、厳しい警護が行われていたことがわかる。
いま通りかかれば、赤坂見附跡は、江戸城の石垣の一部が見える草地で、説明板があるに過ぎないが。
江戸城を守る主要な城門「江戸城三十六見附」のひとつで、外濠(そとぼり)に位置する枡形門。
平河町2丁目の都道府県会館前の交差点一帯がかつての城門(見附)の跡。
濠端に小さな園地が設けられ、一部の石垣が残され、往時を偲ぶことができます。
碑には下のように書かれてます。
左側にある石垣は、江戸城外郭門のひとつである赤坂御門の石垣の一部です。
江戸時代の門は、敵の進入を発見する施設であるため「見附」 とも呼ばれ、ふたつの門が直角に配置された 「枡形門」の形式をとっています。
詳しい説明は、右に坂を登った角にある説明版に記されています。
名前 |
赤坂門跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
江戸城の遺構はあちらこちらに結構残っており、見学するのも楽しいものです。
こちらも解説の案内板と共に、昔の姿を想像でき、しかし想像しきれない風景にやきもきしたりします。