都会の中の静かで趣のあるお寺です。
背後のフォレストタワーが御神体のように見える寺院。
歴史の転換点に幾度も登場するスゴい寺院らしい。
銀杏の樹齢が750年。
墓地は撮影禁止。
麻布十番に鎮座する浄土真宗本願寺派の寺院。
創建当初は空海により西の高野山に模して東の麻布山として開山された真言宗の寺院であった。
鎌倉時代に親鸞聖人の越後よりの上洛の途中、当寺院に逗留の折、聖人の高徳に惹かれ全山挙げて浄土真宗に改宗した。
当山にある中門は勅使門と呼ばれ、1274年の文永の役(元寇)で亀山天皇の勅願寺となった際に命名されている。
室町後期には石山本願寺と織田信長との戦い(石山合戦)において本願寺側として援軍を送っている。
江戸時代末期にはアメリカ合衆国公使タウンゼント・ハリス以下の館員を迎え入れ合衆国公使館となっている。
これ程歴史のターニングポイントで表舞台に都度表れる寺院も珍しい。
また、著名人の眠る寺院としては、越路吹雪や福沢諭吉、アンディ・フグのお墓が有名である。
参拝した日(2月2日)は奇しくも福沢諭吉の命日の前日ということもあって、墓前には慶応義塾大学の関係者による線香と花が飾られていた。
江戸時代にあった本堂や中門等は太平洋戦争末期の空襲で全焼してしまったが、1961年に京都東本願寺八尾別院の本堂(京都天明大火後の10年間、東本願寺の御影堂の役を務めた)を移築・再建した由緒ある建築物である。
墓地内にある銀杏が雄大で圧倒されます😳樹高20m、幹周10.4m、樹齢750年国、都の天然記念物です!本堂も港区の文化財になっております。
それにしても、背後にそびえ立つマンションが圧迫してるように感じますね😅
弘法大師によって開山されたと言われ、当初は真言宗のお寺でした。
その後、親鸞聖人に傾倒し浄土真宗へ改宗したそうです。
都内では浅草寺等につぐ最古のお寺です。
初代アメリカ合衆国公使館となり駐日公使タウンゼント・ハリスの記念碑が建てられています。
参道には弘法大師が地面に突きたてた錫杖の下から湧き出したという「柳の井戸」があります。
都心にこの様な自然の湧水が残っているのは貴重で、東京の名湧水57選にも選ばれています。
この井戸の水面をじっと見ていると確かに水が湧き出しているのがわかります。
この水、只そのまま流してしまっているようで何かもったいない。
親鸞聖人が地に挿した杖から芽吹いて成長したと言われる「逆さイチョウ」(国指定の天然記念物)が有名です。
空襲で幹の大部分が焼けたとの事で黒い部分が残っています。
その木のそばに「祖師聖人御杖銀杏樹」という石標と親鸞聖人の銅像があります。
慶應義塾の創立者である福沢諭吉先生のお墓があり、命日の2月3日に「雪池忌(ゆきちき)」法要が毎年行なわれます。
当初、上大崎の常光寺に葬られましたが、昭和52年に善福寺に移葬されたそうです。
原則、浄土真宗系のお寺は御朱印がないので、正確には御朱印ではない様ですが私の時は御朱印帖に丁寧に書いて下さいました。
この頃はまだお寺の宗派なんて全く理解しておらず、気に入ったお寺で御朱印をお願いしていました。
今なら躊躇してしまいます。
お寺の後ろに立つタワーマンションが景観を著しく損ねています。
しかし法律等に違反していない以上、仕方ないですね。
観光目的とするお寺ではないので静かに境内を散策したいところです。
都心にありながら豊かな自然と長い歴史を持ったお寺です。
アメリカ大使ハリス氏の宿館跡となります。
当時使用していた建物は焼けてしまいましたが、江戸時代に建築され、何度も移築されたという本堂が残ります。
本堂のすぐ左に、福沢諭吉先生のお墓があります。
ちなみに、福沢諭吉先生の慶應義塾発祥の地は、築地の聖路加大学のあたりにあった中津藩の屋敷跡です。
浄土真宗系なのに御朱印がもらえます。
ただ「御朱印をください」と言っても、「御朱印はありません。
スタンプならあります」と言って押してくれるので、本当は御朱印ではないのかも…福沢諭吉や越路吹雪など有名人のお墓もありますが、お墓の写真を撮ることは禁止されています。
平安時代の824年に弘法大師に寄って開創された、多くの宝物を所有する、善福寺は2008年に大修理され、新しくなりました。
境内の銀杏の巨樹は関東一の銀杏の巨樹。
昔、親鸞聖人が訪れたさいに、弱ってた銀杏の木に杖をさしその杖が根を出して銀杏を生き返らせた伝説、御杖銀杏。
樹齢700年、幹回り10、4mの御神木として崇められてます。
〔麻布山 善福寺 * Zenpukuji Temple〕空海上人が錫杖で湧き水、親鸞聖人の杖から いちょう、霊験の豊かな古刹です。
〈空海が開山〉今から約1200年前、空海 みずから真言宗の寺として開山したとされている。
参道にある 柳の井戸 は、空海が立てた錫杖の下から、こんこんとわき出たという。
〈親鸞聖人により 浄土真宗に〉その後、今から約800年前に、越後流罪の後、親鸞聖人が訪れ、浄土真宗に改宗した。
境内の大銀杏は親鸞聖人が地面に立てた杖から生えたといわれ、その様から「逆さいちょう」と言われている。
なんとも霊験に満ちたお寺です。
About 800 years ago, Buddhism Saint Shinran visited here.〔交通〕 東京メトロ南北線・地下鉄大江戸線 麻布十番駅 徒歩8分 位。
境内に入って、ひときわ目立つ老樹のかたわらに建てられた「天然記念物 善福寺ノ公孫樹」の記念碑を見たとき、与謝野晶子の歌集『舞姫』に載っていた「金色の 小さき鳥の 形して 公孫樹ちるなり 夕日のおかに」の公孫樹をイチョウと読めなかったことを思い出しました。
私にとっては遠い昔の恥ですが、このイチョウの遠い昔750年に比べたら昨日の事かもしれませんね。
品川区大井に在る古刹(こさつ)光福寺の境内にもイチョウの老樹があります。
そこの説明板には「麻布善福寺のイチョウと兄弟といわれ・・云々」と記されています。
また、斎藤月岑(げっしん)著『江戸名所図会』巻之二(天璇之部/てんせんのぶ)の大井山光福寺の条には、「このところは麻布山善福寺の中興了海上人誕生の旧跡なり・・云々」とも記されていて、麻布山(あざぶさん)善福寺と大井山(たいせいざん)光福寺との縁深き関係性が読み取れます。
同書の巻之三(天璣之部/てんきのぶ)の善福寺の条には「麻布雑色(ぞうしき)にあり。
親鸞上人(1173-1262)弘法(ぐほう/仏法を広めることの意)の地にして、当宗関東七箇の大寺の一員、了海上人開山たり。
亀山帝(1249-1305/第90代亀山天皇)の勅願、本尊阿弥陀如来の像は恵心(えしん)僧都(そうず/僧の官職で僧正に次ぐ第2の位)の作なり。
中略 初めは真言密条の勝区たりしが、貞永(じょうえい)元年壬辰(みずのえたつ)(1232年)、了海師、親鸞上人の弘法に帰化し宗風を転ず。
略 」と記されています。
また、蔵王権現堂(開山堂)と杖(つえ)銀杏樹(逆銀杏樹さかさいちょうとも号く)の由緒が記され、7月15日に草角力興行(くさずもうこうぎょう)の神事と11月3日に開山御身拭(みぬぐ)いを唱える開山忌が紹介されています。
果たして、この神事と行事が現在も行われているのでしょうか。
中門(勅使門)に菊の紋が有ることも納得です。
歴史探訪にご興味ある方にお出掛けをお勧め致します。
初代アメリカ公使ハリスのレリーフがあります。
越路吹雪さんの墓と福沢諭吉の墓がありますが、撮影禁止です。
12時の鐘突の音が聞こえたので見ると、無人でした。
自動で突く仕掛けなのね。
ご朱印は直筆ではなく、貼るタイプです。
名前 |
善福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3451-7402 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
慶長から歴史のあるお寺です。
とても大きく、本堂までの道にはさまざまな他の寺があります。
親鸞聖人ゆかりの地でもあり、親鸞銀杏や柳の井戸などがあります。
またハリスが最初に滞在していた場所でもありました。