こちらの坂は急で長い坂道ですね。
目黒駅周辺は坂道が多いですが、こちらの坂は急で長い坂道ですね。
途中にはお寺があったり、目黒叙々苑が近くにございます。
その昔、修行先に向かう際に、この坂を利用する人達が多かったといわれております。
坂マニアにはたまらないでしょう。
傾斜角度がかなりあるので、登るのはかなりの労力を要します。
江戸時代この道で農作物を運んだと聞いてますので、舗装されてないこの坂を荷車で登るのは大変だった事でしょう。
太鼓橋の辺りからスタートします。
目黒駅から目黒川方向へ下る急坂。
かつて、大鳥神社⛩や目黒不動への参拝に行く際に使われていた坂道。
坂の名前の由来は、坂の途中にある大圓寺にちなむもので、かつて、大圓寺周辺にたくさんの行人がいた事による。
あまりにも急坂だったため、牛車が坂を登れず、人々が苦労してたのをみて、近くに坂の緩やかな道をつくり、その事により処罰された者の名前に由来する権之助坂が直ぐ側にある。
坂の頂上からは、天気のいい日は富士山🗻も見え、坂の途中にはホリプロがあり、坂の下にはホテル雅叙園東京がある。
さらにその先は、目黒川に出る。
2020年11月23日参拝。
きつい坂の真ん中あたり?都内でも有数の??パワースポット?らしい。
が、それは一度ここを参拝して下さいね、とまた他力本願です。
目黒駅から雅叙園へ下っていくかなり急な坂で、人通りも結構あります。
寛永の頃、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めめ、しだいに多くの行人が集まり住むようになったので、行人坂と呼ばれるようになったといわれています。
目黒川が形作った絶妙な坂ですね。
東京の地形って本当に面白い。
明治41年、日活の前身である日本初の映画撮影所「吉沢商店目黒行人坂撮影所」が開設された場所です。
映画ファンなら是非一度は足を運んでみて下さい。
「行人坂」なんて文学的?な名前なんだろうと思っていたら、昔、行者さんがたくさん住んでいたからついた名前なんだとか。
急坂で、以前、自転車でガシガシ踏み込んで登っていたら、スポークが折れたことがあります。
いつも人通りが多い坂。
江戸時代には江戸と目黒不動や目黒大鳥神社、碑文谷円融寺などへの参詣や目黒の農産物を江戸に運ぶ交通の要衝でもあり、行人坂の名の由来は17世紀前半寛永のころに出羽三山の一つ湯殿山の行者の大海法印が大日如来の堂を建て、大円寺の元を開き坂を開いた。
以来、行者が多く住み、そのため行人坂と言われるようになったと伝えられている。
COALTAR OF THE DEEPERSのファンなら一度は訪れたい場所。
『春の行人坂』『夏の行人坂』など、この坂をテーマにした楽曲は必聴。
『夏の行人坂』は、江戸時代のお七火事をテーマにしているとのこと。
目黒駅から徒歩3分程度なので簡単に立ち寄れる。
坂自体はそれほど長くなく、5分で下りきれる程度。
ただし傾斜がきつい。
坂の中盤にお寺があり、50円でおみくじが引ける。
お線香をあげて帰りました。
権之助坂ができる前の白金から大鳥神社に向かう主要道です。
目黒川から雅叙園を抜けるとこの急な坂が現れます。
昔の人の苦労を少し体験しました。
江戸33観音巡礼(33番札所、龍泉寺)の帰りに通りました。
坂の途中に大圓寺(寛永年間(1624 - 1644)湯殿山修験道の行者が創建)があります。
登りきると目黒駅です。
JR目黒駅の西口から、目黒川に向かって下っていく坂道が【行人坂】である。
・・・坂を下っていく途中の左側に【大圓寺】が在る。
・・・・少し歩を進めると、【ホテルが雅叙園東京】が在る。
・・・・このあたりは、明治の頃、武蔵野の風景であった。
・・・・・、国木田独歩の【武蔵野】に書かれている。
・・・・以下、【武蔵野】から抜粋・・・武蔵野の詩趣を描くには・・・・渋谷の道玄坂の近傍・・・目黒の行人坂・・・早稲田の鬼子母神あたり・・・新宿、白金・・・・・。
名前 |
行人坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/saka/tobu/gyonin.html |
評価 |
3.9 |
浮世絵には坂の上から富士山が描かれる急な坂。
少し大きなスライドで登る🎵本の少しスムーズに登れた気がしました。