ビルの横にひっそりと佇む石碑と案内板。
20221210。
わりと目につきやすい場所にある。
説明札には本文より大きな文字で土地提供者の名前が記されていた。
然もありなん(^_^;)
かつてここに龍関川に架かっていた今川橋のがありました。
運河である龍閑川は、江戸市中の商品流通の中枢としての大きな役割を果たし、神田の職人町、日本橋の商人町は大きく栄えました。
今川橋の名前は、当時町人の代表であった名主、今川善右衛門から付けられたそうです。
日本橋から東海道以外の街道を発つと、初めて渡るのが今川橋でした。
昭和25年の竜閑川の理め立てと同時に今川橋も解体され、360年の歴史を閉じました。
日本橋、室町、三越辺りから神田駅に向けて歩くと(中央通り)左側のビル影に発見します。
歴史的な遺構ですが、土地利用方法の変革から埋もれてしまいました。
詳しくはたて看板に書いてあります。
神田駅から徒歩数分のところにあり、300年近く慣れ親しんだ神田掘に架かった今川橋が1950年に龍閑川の埋め立てに伴って撤去され、今は史跡のみでその面影はありません。
通りかかった折に見つけた木札と石碑。
かつて日本橋と神田の境であったとの龍閑川という掘割。
偶然、先ほど鎌倉児童遊園脇の龍閑橋親柱を見て参りました。
地図上では、こちらの今川橋跡〜龍閑橋までは現在も真直な通りが貫いていることに驚きました。
ビルの横にひっそりと佇む石碑と案内板。
内容を見るとこの運河はかなり当時の流通に関わっていたことが見受けられる。
もっと目立って良いのでは。
奥羽街道(いまは奥州か、)水戸・日光街道方面への、日本橋の次が今川橋。
当地在の商人の名に発する。
今川焼き所縁の地。
この橋脇で発売された焼き饅頭ゆえに今川焼と呼ばれたが、初めからこの名で売り出したかは不明(材料は鯛焼きとおなじ)。
石碑と案内板があるのみ。
今川橋がかかっていた竜閑川(戦後、瓦礫の埋立地として利用されたため消失したらしい)を境目に中央区と千代田区の区境になっているところが面影と言える程度。
江戸城外堀から隅田川に繋がっていた竜閑川に掛かる、今川橋があった場所です。
川は埋め立てられてしまっていますが、直線の路地にその痕跡を感じることができます。
名前 |
今川橋跡(龍閑川) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
近くに今川橋という交差点がありましたが川らしきものがなかったのでよく見るとこの場所に昭和25年まで川が流れており、そこに今川橋という橋がかかっていたみたいです。
外堀につながる川流れており、外堀も埋められ、川も埋められて面影は川が流れていたであろう細い道しか残っていません。
東海道以外から旅に出る際に多くの人が利用した橋のようです。