このような神社が残っている事にほっとする。
移り変わりの激しい秋葉原で、このような神社が残っている事にほっとする。
秋葉原駅周辺を徘徊中にたまたま見つけてお参りさせていただきました。
以前から何度か通った道でしたが素通りしていたので今回は気づいてよかったです。
社殿は鳥居から階段を上がったところにあり昔から地域に親しまれている稲荷神社のようです。
周りの賑わいの中にこの一角だけ厳かな雰囲気でした。
秋葉原電気街にも近い場所にある小さな神社。
秋葉原にある神社。
この日はすごい人出だったけど、このエリアは落ち着いた雰囲気。
こういう場所はイイね。
秋葉原の街中にあるこじんまりとしたお稲荷様。
入口脇には、由来を記した解説板もあります。
シャッター閉まってたけどお参りは可能。
綺麗な神社です。
鳥居の朱色が鮮やかです。
御祭神は宇之御魂命。
宇迦之御魂命ではなく、宇之御魂命で合っているのだろうか?案内表示にそう書かれているから、多分問題ないのだろうけど。
安政4年 1857年の創建と言われている。
ご神体は鎌倉時代の名仏師 運慶の作との事。
大正12年 1923年の関東大震災で焼失し、その後現在の地に遷座した。
敷地は狭いが綺麗にされている。
地域の方々の大切な存在なのだろう。
秋葉原に鎮座する小さな稲荷神社。
道行く人が立ち止まり拝んで行く人が多く、近所の住人や勤め人に敬れているようです。
とんかつ屋さん丸五の向かい側にある神社です。
夜は人がいなくていいよ。
街中にあります。
境内には、戦後に町会が設置したという街路灯の柱が残っている。
元々は二十基あったそうだが、現存するのはこれだけだそうである。
また、現地案内板によれば、当地にはもともと講武所の付属地があって、大貫伝兵衛という人が「どうかこの土地を払い下げてください」と幕府にお願いしたそうである。
許可が降りるまでの間、彼は浅草の長昌寺にあった稲荷神社に何回もお参りしたらしい。
そして、晴れて安政三年に払い下げの許可が得られた。
これを喜んだ大貫は、当地に神社を作り、左記稲荷神社のご神体をこちらに移した。
これが安政四年のことで、この講武稲荷の始まりだそうだ。
なお、一説には、この神社のご神体は運慶の作と伝わっているそうである。
ただまあ、運慶とか空海とかは、この手の神社やお寺に矢鱈めったらに出てくるので(大半が箔付けのための誇張やウソ。
)、個人的には、「え、こんなところに? あるわけないだろ。
」と眉唾に思った。
関東大震災で境内がぐちゃぐちゃになったらしく、その後の区画整理で現在の形になったとあるので、当時はもっと広かったのかもしれない。
たまーに小銭投げて参拝してます。
ちょっと参拝しづらい(人目が気になって💦)
1857年創建。
関東大震災により焼失し、当地に縮小移転したという。
その後は火伏護神として祀られたそうだが…なぜ?小さいながらも存在感ある神社だと思います。
御朱印無。
1857年創建。
関東大震災により焼失し、当地に縮小移転したという。
その後は火伏護神として祀られたそうだが…なぜ?小さいながらも存在感ある神社だと思います。
御朱印無。
ここでお参りしてからとんかつ食べます。
そばに無料なWIFIがあるよ!
名前 |
講武稲荷神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
1857年創建と伝えられる稲荷神社。
社名の「講武」の由来となった「講武所」とは、幕府が設置した武芸の調練所のことです。
明治以降、このあたりは花町ができ、賑わいました。