日銀に用はありませんが、通りすがりに。
事前予約必要ですが、旧庁舎の内部を見学できます!中々見応えあったので関心ある方は是非。
日銀本店日本の経済の屋台骨【日本銀行】とても趣きがあり重厚感を感じる歴史的建造物です🏛正門前が桜の名所と言う事で訪問しましたがʚ🌸ɞ外観と桜の対比がとても素敵です🏛ʚ🌸ɞまた来年まで見られない桜の隠れた名所は都心にいるのにとても得したような発見です🏛ʚ🌸ɞ
・日本銀行1877年(明治10年)に起こった九州の鹿児島県の士族(旧武士)による反乱所謂、西南戦争の費用を捻出するため、明治政府は沢山のお金を発行しました。
しかし、発行し過ぎたため、お金の価値が大幅に下がってしまいました。
そこで、お金の価値を守るために産まれたのが中央銀行たる日本銀行なのです。
・日本銀行とは?お札の発行、物価の安定、金融システムの安定です。
又、日本銀行は預金を受け入れたり、お金を貸したりする普通の銀行と同じことをしますが、大きく違うのは、一般的な我々個人や、会社企業と取引しないです。
では誰を相手にするかと言うと、一般の銀行、金融機関や日本政府を相手にする銀行なんです。
・日本銀行が、一般の銀行・金融機関と異なっている点。
日本銀行は、日本で唯一お札や貨幣を発行出来る銀行です。
その証拠にお札には「日本銀行券」と書かれているはずです。
一般的な銀行・金融機関は、日本銀行に口座を持っていて、日々一般的な銀行・金融機関も日本銀行とお金の取引を行なっています。
日本銀行は、日本政府ともお金の出し入れを行なっています。
例えば、我々が日々納めている税金は日本銀行の口座に集まり、公共事業の代金や、老後の年金、国債も日本政府が持っている、日本銀行の口座で行ないます。
・実は、お札には寿命がある⁉お札は日々市中で出回っています。
しかし出回っているということは、当然傷んだり、黒ずんできたりして、いつかは使えなくなります。
一万円札で4年〜5年。
千円、五千円札で1〜2年ほどで寿命が来てしまいます。
そこで、毎年毎年お札を発行して、各銀行・金融機関から集まったお札を新しいものに交換して、特殊な機械により裁断されます。
刻まれた紙幣はリサイクルされ固形燃料や、住宅用建材に生まれ変わるのもあるそうです。
・物価の変動1年を通して物価、モノの値段が上がったり、下がったりする時があります。
その時に民間銀行との間で国債や、お金の出し入れや金利の水準を調整することがあります。
これを「公開市場操作」をして経済活動を活発にしたり、物価を活発にもしくは物価を落ち着かせます。
これは日本銀行が行なっている「金融政策決定会合」により決まります。
・見学ツアーツアーには2パターンあり、予約なしの30分コースと、日本銀行ホームページから事前予約する1時間コースがあります。
まずビデオ鑑賞10分と館内見学50分ですが、本当にあっという間に終わります。
最初に2階から見学し、地下の大金庫から、1階に戻ってくるコースになっています。
事前予約は90日〜1週間前までに、本店ホームページ見学予約サイトから申し込み、申し込み完了と予約コードのページをスクリーンショットして、見学日まで大切に保管してください。
見学日の開始時間15分前に西門、見学入口が開きます。
そして警備員の方が申し込み確認用紙で、そのスクリーンショットした予約コードの確認を行ないます。
確認後、今度は日本銀行職員の方から身分証明書の確認を求められます。
運転免許証、マイナンバーカード、本人の写真付きの保険証、パスポートを必ず用意してください。
最後に手荷物検査もあります。
危ないものは持って来ないでください。
・設計者旧館は、辰野金吾。
新館は、長野宇平治。
アクセス東京メトロ銀座線、半蔵門線、三越前駅より徒歩2分です。
日本橋三越本店さんの裏と、三菱UFJ銀行、三井住友銀行さんの『江戸桜通り』交差点(小)の一角に有ります。
いつも静寂です。
入口は、神田方面側に有ります。
三井タワーの裏手です。
日本銀座重厚感がありますよね。
日銀に用はありませんが、通りすがりに。
本館/旧館、新館共になかなか趣きと見応えのある建物なので、またも通りすがりですが再防しました。
予約すれば見学も出来るようです。
ニュースではちょくちょく拝見致しますが、実物は、遥かに美しい建築物であった。
ネオバロック様式というらしい。
夜に訪れると重厚さが、より増します。
久しぶりに訪れた日本銀行は、良かったです。
夜のライトアップは更に綺麗です。
旧館の写真ばかりですが、新館はこちら。
重厚な建築を手がける松田平田設計のデザイン。
建築家 辰野金吾博士の設計。
柱やドームなどの「バロック様式」に、規則正しく並ぶ窓などの「ルネッサンス建築様式」を取り入れた「ネオバロック建築」である。
明治時代の近代洋風建築を代表する建築作品である。
明治29年(1896年)に竣工した。
巣篭もりで健康維持のため東京駅から本社まで歩いていました時にいつも横を歩いて通っていました。
日本の金庫というべき日銀なので作りも趣きも最高な感じです。
ちょうど桜咲く季節であって日々の桜の成長を追いかけることが出来ました。
意外と穴場なので立ち止まってカメラ撮影も気兼ねなく出来ます。
ルネサンス様式を加味したネオ・バロック様式の建築が威厳たっぷりな日本銀行本店。
1896年に竣工し、100年以上もの歴史を有します。
建物を上空から見ると”円”の形をしていますが、建設当時は旧字体の”圓”であったことから、偶然の産物と言われています。
東側には三井本館、その向こうには三越本店の尖塔が見えます。
ヨーロッパの都市にも見間違える街並みです。
本館内部や地下金庫などを見学できるツアーが開催されていましたが、現在スケジュールはHPで要確認です。
〔国指定重要文化財〕
歴史的建造物である日本銀行本店(地上3階・地下1階、以下「本館」)は、日本近代建築界先駆者の辰野金吾が設計し、築120年を超えています😵日本人建築家による明治洋風建築、現存する最も重要な建物の一つです👍昭和49年に国の重要文化財に指定されました👍本館は、過去、関東大震災の他、色々な災害に見舞われていますが、倒壊せずに、被害を受けつつも軽微の復旧工事で現在に至っています👌
日本国民として星5つは当たり前です★
耐震工事中に見学をした際、一部見れなかった所があったので、工事完了後に再度予約をして見学してきました。
耐震工事後の様子がガラス床で見れたり、わかりやすい説明で2度目の見学でも面白かったです!相変わらず厳重な手荷物検査、撮影箇所も限られておりました。
手荷物はロッカーに預けるるので、撮影スポット用にスマホ1つで身軽に見学できます(^^)コロナ対策のため、以前は持てた1億円はありませんでした。
また記念スタンプも今回は見当たりませんでした。
首にかける見学証は以前は返却しておりましたが、今回は持ち帰って下さいとの事でした。
私たちを含めて5人の見学でしたが、映像鑑賞時も席が離れていたり、見学時も1列で間隔を空けて移動などコロナ対策がしっかりしておりました。
約1時間の見学ですが、建物を真上から見た際に円の字に見えても当時は圓の字だったので偶然の一致だったのでは?等、色々と学べます^ - ^
外観見てるだけでかっこいいなって思う。
予約したら中も見せてもらえるらしいので、いつか行ってみたい。
ニッポンの金融政策、ひいては国民の暮らしを支える中央銀行。
意外過ぎる、桜🌸の名所と云われるようです。
日本銀行本店本館は、辰野金吾の代表作で、外観内部ともにネオ・バロック様式にルネッサンス的意匠を加味しているといわれ、現存する明治洋風建築のうち最も重要なものの一つとして、国の重要文化財に指定されています。
予約して見学しました。
お子さんは小学5年生以上から入れます。
身分証の確認や手荷物の金属探知機など空港並みの保安体制。
指定時間の30秒前なのでお待ちくださいと言われるくらいきっちりしています~。
見学は1時間です。
最初に20分位のビデオを見て、本館、中庭など建物見学、金塊や一億円持ったりの体験もありました。
日本銀行では一般の人は口座開設はできないので、新館の営業場は入れませんが痛んだりしたお札の交換や交通違反のお金を納める場合、一般人も入れるそうです。
写真を撮る事ができる場所が少ないので、なかなか説明が大変ですが、大変貴重な建物で、内装もエレベーターも素敵でした。
案内していただいた女性が説明が上手くてとても勉強になりました。
対応もテキパキでも丁寧、その上お綺麗な方でした~。
回収した紙幣を裁断したものがプレゼントにもらえます。
なんだか複雑な気分です。
子供だけでなく、大人も勉強になる見学ツアーでした。
月曜日は併設の通貨博物館がお休みなので、他の曜日をオススメします。
日本銀行本店は、建築家・辰野金吾の設計によるネオバロック建築。
明治29年に完成しました。
ベルギー中央銀行を手本したといわれ、国の重要文化財となっています。
上空から見ると『円』に見えることは有名ですよね╰(*´︶`*)╯事前予約すれば、旧館、新館の一部と貨幣博物館の解説付きの見学が無料であるようです。
建物の中には入れませんが、当日見学もあるみたいですね。
1週間前までに予約しておけば日銀の建物の中に入って見学できますよ。
平日限定。
無料。
小学五年生以上(小学生は保護者と一緒に)。
1時間コース。
9:45,10:45,13:45,14:45の一日四回。
定員20名ぐらい。
予約の要らない30分見学もありますが、建物の中には入れませんし、一億円もった気分にもなれません。
🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟日銀も破綻するかもとまことしやかにささやかれる‼なぜか?口座を維持するだけで手数料をとるという暴挙を全国の銀行に通達して全国の経済活動を低下させる通達をしたからと言われる全国の銀行の中には、行員の給料カットを実施して利用者の流出を食い止める苦肉の策を考える銀行もあるらしい中央の銀行が破綻した国もある日本も二の舞?ありうる恐ろしい未来❗
日本銀行は江戸時代の小判貸幣作りをしていて当時は金座と呼ばれていたそうです…日本銀行を上から見ると「円」なっているいる事はしていますか❔歴史が好きで…得意な科目です!
工事中ですが楽しかったです 三越前駅が近いです 一応、東京駅からも近いので歩きで行けますが遠いいので迷いたく無いかたは三越前駅を使いましょう 今、工事中のは日本で一番大きい免震化工事中みたいです!! 詳しく知りたいかたは見学に行ってみると良いです!! 工事中の写真は残念ながら出来ません 撮影禁止みたいです 近くは日本銀行本店が近いということで有名都市銀行がたくさんあります。
重厚感のある建物。
中央銀行!じゃなくてもこんな雰囲気な建物は好きです。
釣り情報がありましたが日本橋川でも多少ハゼが釣れるようになりまたしたね。
釣果を良くするのは自らだけど、景気を良くするのは日銀にも助けてもらわないと。
テレビの特集で日銀を取り上げていたので、興味が湧き訪れた。
西南の役の際に戦費調達の為紙幣を増刷したためインフレ発生し経済が混乱した事からナショナルバンクの必要性が高まり日本銀行は誕生した。
建築は後に東京駅を手掛ける辰野金吾で、重厚な造りである。
現在は工事中らしく旧館は写真撮れなかったのが少し残念。
上から見ると屋根の形が「円」にみえるのは国内のお金を発行する場所だからと言う説が聞かれるが、創業当時は貨幣単位は「圓」であったので、単なる偶然の一致である。
諸悪の根源うそうそ 笑笑建物は立派、厳しい。
残していきませう、大切に。
黒田東彦はるひこ1944年10月福岡県大牟田市に生まれる学歴1960年3月 - 東京教育大学附属駒場中学校(現・筑波大学附属駒場中学校)卒業1963年3月 - 東京教育大学附属駒場高等学校(現・筑波大学附属駒場高等学校)卒業1967年3月 - 東京大学法学部卒業1971年9月 - オックスフォード大学経済学研究科修士課程修了職歴1967年4月 - 大蔵省入省(大臣官房文書課配属)1974年7月 - 国際金融局国際機構課課長補佐1975年6月 - 派遣職員(国際通貨基金)1978年7月 - 主税局調査課課長補佐1980年7月 - 主税局税制第二課課長補佐1981年7月 - 大臣官房企画官兼主税局総務課1984年7月 - 三重県総務部長1986年6月 - 官房参事官1987年7月 - 国際金融局国際機構課長1988年12月 - 大蔵大臣(村山達雄)秘書官事務取扱1989年8月 - 主税局国際租税課長1990年1月 - 主税局税制第一課長1991年6月 - 主税局総務課長1992年7月 - 大臣官房参事官(副財務官)1993年7月 - 大阪国税局長1994年7月 - 大臣官房審議官(国際金融局担当)1995年6月 - 国際金融局次長1996年7月 - 財政金融研究所長1997年7月 - 国際金融局長1999年7月 - 財務官2003年1月 - 財務省 退官2003年3月 - 内閣官房参与2003年7月 - 一橋大学大学院経済学研究科教授 就任2005年2月 - アジア開発銀行総裁 就任2013年3月 - アジア開発銀行総裁 辞任2013年3月 - 第31代日本銀行総裁 就任2017年5月24日バーナンキ前FRB議長が来日し日銀本店で行われた国際会議に参加し講演した。
バーナンキは2008年のリーマンショック後に金融緩和を始めた。
黒田東彦も黒田ショックと呼ばれた金融緩和を始めた。
釣り情報日本銀行本店の目の前に日本橋川が流れています。
歴史情緒ある常磐橋から日銀を見ながらしばし糸をたらすとちょこちょこお魚が釣れます。
シーバス(スズキ)、ハゼ、ボラ、マルタウグイなどが釣れます。
風格のある日銀をみながら釣りができます。
反対側を見て新常盤橋と常盤橋の間にある『常磐橋』を渡ると千代田区立『常盤橋公園』があります。
この『常磐橋』と『常盤橋公園』は江戸城の『常盤橋門跡』として国の史跡に指定されています。
川沿いにある石垣は江戸城の石垣の一部です。
ぜひ、お暇なときは散歩してみてください。
名前 |
日本銀行本店 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3279-1111 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金] 9:00~15:00 [土日] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
昨日の日本橋室町のビルでの出張帰り、東京駅迄歩いていたら、『日本銀行』がありました。
びっくりして、写真を撮ました。
建物が今の日本のものと違ってがいて、古いけど威厳がありました。