由来は江戸にあるという、見た目普通の坂。
もう、この名前がステキ!
妻に恋する坂だったと思う。
ここにあるのが本当の妻恋坂ですか?私は以前、蔵前橋通りをよく利用していたんですが、蔵前橋通りに同名の坂があるんですよね。
まぁ、この土地に住んでない人間がごちゃごちゃいっても意味ありませんね。
かなり古くは大超坂と言った。
元々はここにあった浄土宗寺院の霊山寺の大超和尚の名前からきている。
(大長坂、大帳坂、大潮坂は宛字なだけで要するに全部「だいちょうざか」。
別に沢山名前があると言う程の事でも無い。
)1657年の江戸最大の火災である明暦の大火で霊山寺は焼失、この場所に再建はされず寺院は浅草に移転していった。
(霊山寺はその後更に1689年隅田川横川に移転。
現在もそこにある。
)明暦の大火はあまりの規模の大きさの為、ローマ大火・ロンドン大火と並んで世界三大大火の一つとまで言われる程の大火災。
江戸全域をほぼ焼き尽くす程の大被害であった。
江戸城の天守もこの時に焼失。
その後2度と再建される事は無かった。
大火の後、霊山寺に代わって湯島天神近くにあった妻戀神社がこの地に移転して来た。
ここが妻戀坂と呼ばれる様になったのはそれ以降の事。
説明板が建っており、下のように書かれていました。
江戸時代、このあたりに、名僧で名高い大超和尚の開いた霊山寺があった。
明暦3年(1657)江戸の町の大半を焼きすくす大火がおこり、この名刹も焼失し、浅草へ移転した。
この霊山寺の敷地は、妻恋坂から神田神社(神田明神)にかかる広大なものであった。
嘉永6年(1853)の『江戸切絵図』を見ると、その敷地跡のうち、西の一角に島田弾正という旗本屋敷がある。
明治になって、その視木々は清水精機会社の所有となった。
大正時代に入って、湯島天満宮とお茶の水の間の往き来が不便であったため、清水精機会社が一部土地を待ちに提供し、坂道を整備した。
そこで、町の人たちが、清水家の徳をたたえて、「清水坂」と名づけ、坂下に清水坂の石柱を建てた。
普通の坂道です。
妻恋坂をはじめたくさんの名のある坂がありおもしろい。
妻恋神社は小さいが趣きのある神社で数分おきに人がやってくる。
⊂(・ε・`)ノシ.:∴
由来は江戸にあるという、見た目普通の坂。
坂を登ると妻恋神社がある。
妻恋神社が湯島から移ってきた時につけられた名前だそうです。
異名がいくつもある坂です。
由来は江戸にあるという、見た目普通の坂。
坂を登ると妻恋神社がある。
名前 |
妻恋坂 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.4 |
2021/8/22-現地撮影…。