幕末に制作された獅子の子落とし。
石獅子と、樹木の緑と、流れる水、石獅子の足場に茂る苔。
そして、後ろにそびえ立つ神田明神の御社殿の朱色と金色。
これらが、見事に調和していて色や構図が素敵すぎて見惚れちゃいました。
この石獅子は、武州下野の名工石切藤兵衛(別名・油売藤兵衛)の作品とされておりますが、対象12年(1923年)の関東大震災によって、元々の獅子山が崩壊してしまい、その際に、子供の石獅子が紛失してしまったそうです。
その後、新しく子供の石獅子が加えられ今の状態になったとのこと。
震災で子を失った石獅子の想いを思うと、勇ましい石獅子の姿に、少しだけ悲しみが映るようにも思えました。
また、新しく追加された子供の石獅子を、今度こそ失わないようにと強い気持ちでそこにいるのだろう…と空想しました。
底の方には水が溜っている。
苔むした感じが良い。
お隣には神馬と思われる黒い馬が飼われている。
小さい。
子供だろうか。
朝方六時頃に行くと、おじさんが馬屋の掃除をしている。
本堂に向かって右側、江戸時代に作られた石獅子像です。
上方に父母、下方に子獅子の計3体。
「子を谷底に突き落とす」という逸話をもとに作られたそう。
神社といえば狛犬なのに、ここまではっきり「獅子」を表現されると何も言えなくなりますね。
しかし、ここに獅子を置いたからなんでしょうが、肝心な狛犬が両方ともにごつい犬というのは笑えます。
狛犬は仏教が伝来した時に百済の聖明王が、仏教の経典や仏像とともに守り神として天皇に献上したそうで、鎌倉時代あたりまで宮中に置かれていたそうです。
お寺の仁王像に倣って口を開けた阿形と、閉じた吽形に別れていますが、阿形が狛犬で吽形は獅子なんだそうです。
さらに付け加えると狛犬は頭に角があるそうですが、今見かけるのは両方ともに獅子というのが多いんですよね。
区の有形文化財に指定。
江戸時代末の文久2年(1862)に境内に作られたものです。
大正12年(1923)関東大震災にて獅子山が倒壊し、子獅子は紛失したが、親獅子2頭は保存され再建されたものです。
獅子山の隣にはタイミングよければ神社の神馬の「あかり」がいます。
名前 |
石獅子(夫婦2頭)【千代田区指定有形民俗文化財】 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
千代田区指定文化財です。
この石獅子は、区内に残る数少ない江戸期の石造物のひとつです。
享保年間 (1716~1735) に、 下野 (現在の栃木県)の名工・石切藤兵衛が作ったものといわれています。
1862年(文久2年) 11月に両替屋仲間が石を積んで神田神社へ奉納したという記録があります。
3頭の石獅子は、親獅子が谷底へ突き落した子獅子を見る構図になっています。
このうち江戸期以来のものは夫婦2頭のみで、子獅子と獅子山は1923年(大正12年)の関東大震災で失われ、1989年(平成元年)に天皇即位を記念して再建されました。