ついにタワーマンションの建設されました。
【玄武館道場跡地、更地に】長らく小学校の跡地だったのが、ついにタワーマンションの建設されました。
千代田区の碑も撤去されてて、わからなくなってしまいました。
【北辰一刀流玄武館道場跡、顕彰碑再興】先週末の東京出張では神田に宿泊しました。
神田と言えばお玉ヶ池、お玉ヶ池というとやはり北辰一刀流の玄武館道場が有名ではないでしょうか?この幕末の名流北辰一刀流の道場があった場所は元々小学校があった場所なのですが、小学校が廃校となりその跡地にマンション計画が立ちました。
私がまだ東京にいる頃には学校後は更地になり碑も撤去されてしまい、顕彰碑も無くなるかもしれないと聞いていましたが、宿の近くでしたので、様子を見に行くとなんとマンションの一角に碑が立派にそびえておりました。
やはり日本の歴史の中でこう言った過去の顕彰はその土地に暮らした過去の人と今に住む現代の人とが結びつくタイムトラベルポイントのようなものですから、今回破棄されずまだこの場所に戻ってきて良かったとひとりごちしてしまいました。
ここは江戸時代はお玉が池と呼ばれ、北辰一刀流の開祖である千葉周作が玄武館を開いたところ。
今は周りをマンションが囲み由緒書きしかありません。
千葉周作が開いた北辰一刀流の道場「玄武館」があった場所にその石碑などが設置されています。
岩本町交差点から昭和通りを少し入った場所にあります。
もはや当時の面影などは全くなく、四方八方は新しいマンションが建ち並んでいますが、しっかりとした石碑と分かりやすい解説書きで史跡巡りを趣味にしている(そうでない方にもですが…😅)方には心に感じられるものがある場所ではあります。
当時の地図も分かりやすく記載があり、そこには確かに千葉周作と名前が記されていました。
千葉周作を描いた司馬遼太郎の小説『北斗の人』を読んで訪れてみました。
千葉道場も史碑が立つだけの「跡」に過ぎないし、「神田お玉ヶ池」も跡形もないし(周作の時代にはすでにほとんど埋め立てられて、実態はなかった模様)、想像力で埋め合わせるしかありません。
北辰一刀流を開いた千葉周作の道場「玄武館」があった場所坂本龍馬もここへ立ち寄っていた門が閉まっている時は自分で開けても問題なく開けたらちゃんと閉めましょう。
旧名・千桜小学校、最近まで千代田小学校という名で校舎がありました。
(少子化で廃校、一時期、都立高校にもなっておりました)。
今でっかいマンションが建設中です。
(←千桜タワーだったかな) 北辰一刀流・千葉周作の弟、定吉の道場の跡地と言われ、高知土佐の坂本龍馬が、北辰一刀流免許皆伝の場と言われております。
付近は今工事中なので何もナイ状態です。
小学校があった当時は、校門を入るとその場所の「史跡・由来」の看板がありました。
大河ドラマの「龍馬伝」でチッと出ていました。
ワタクシの記憶では、「年末の寒稽古」は道場に大豆をまいて、子供たちが剣道しておりました。
現在、北辰一刀流は、杉並区にあるそうです(ただし、これは、正確ではアリマセンが…)。
2017/08/15に行ってきましたが、ありませんでした。
近くに交番があったので聞いてみたら今工事中になってるビルのあたりがそうで、またここに説明版が設置されるかどうかもわからないとのことでした。
北辰一刀流を開いた千葉周作の道場「玄武館」があった場所坂本龍馬もここへ立ち寄っていた門が閉まっている時は自分で開けても問題なく開けたらちゃんと閉めましょう。
名前 |
玄武館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
北辰一刀流の北辰の意味は、北極星、即ち、すべての星の中心にあり自らは動かない、あの北の方位を知る星です。
北極星について、おもしろいお話があります。
「北極星は動いている」という、天体観測史上の大発見に日本人が登場するのです。
江戸時代、大阪、北前船の船頭桑名屋徳蔵のおかみさん(奥さん)が、はた織りをしながら、海上の夫を思っては北の窓から、夫が方位を知るため毎日見ている北極星を見ていました。
すると、北極星が窓の障子の桟に隠れる時があり、北極星は動いていることを発見したと言われています。
船頭のおかみさんが、障子の桟に隠れる北極星を見て、不動と思われていた星が、小さな小さな円運動をしていることを発見したというお話です。