東大医学部発祥の地だそうです(^^)
天然痘の予防接種を目的として設置された種痘所です。
江戸後期、天然痘の致死率が40%もあって、当時の蘭学医らがお金を出し合って作ったそうです。
うっかり見落とすところにあります。
ビルの角に、あります。
ただ案内看板があるだけで、遺構などがある訳ではない。
しかも壁にはめ込んであるような感じになっていて、目立たないから通り過ぎてしまう可能性すらある。
それでも嘗てここに何があったか、現代人にわかるよう示してくれているのはありがたい。
一番近い駅は東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅。
徒歩5分以内。
かの東京大学医学部の前身があった場所としては何とも寂しい。
看板が一枚あるだけ。
JR神田駅から7~8分でしょうか。
昭和通りを越えた先にあります。
お玉ヶ池周辺には千葉周作の道場玄武館や佐久間象山の象山書院があり、記念碑もあるので周遊するのもいいかもしれません。
想像力を駆使して、当時の種痘の様子を思い浮かべてみました。
今となっては予防接種は、みんなこぞって病院、医院に行ってやってくるものですが、当時の人々にとっては、なかなか理解するのが大変なことだったでしょう。
東大医学部発祥の地だそうです(^^)
「仁」に登場した伊東玄朴他80名の蘭方医が私財をなげうって建てた種痘所の跡池だそうだ。
西洋の医学を積極的に取り入れた江戸時代終わり頃の最新鋭の医学所だったが、僅か半年ほどで焼失し、秋葉原の方に移転。
西洋医学所に名前が改められた。
南方先生がタイムスリップし、ご厄介になるのはこの秋葉原の方である。
なお、西洋医学所は東大医学部の原形となる。
余談だが、東大医学部は奇跡的に関東大震災と東京大空襲を免れた。
現在、建物の一部は小石川植物園に併設された建築ミュージアムに展示されている。
東京大学医学部発祥の地とされる。
1858年於玉ヶ池の畔に伊藤玄朴ら蘭学者が種痘所を創設しました。
現在では碑が埋め込まれているのみで当時の面影は残っていません。
近くにはお玉稲荷が鎮座しています。
ビルの壁に埋め込まれてました。
この辺りにお玉が池種痘所があった所で、のちの東京大学医学部になったとのことです。
夕方だったので、危うく見逃すところ。
こんなに小さくしなくても良いのに…
今は名残もありませんが、勘定奉行 川路聖謨の屋敷跡です。
ロシア大使プチャーチンをして、ヨーロッパにおいても川路ほど機知に富む知性のある官僚は珍しいと言わしめた。
ここに、江戸時代初の種痘所がありました。
名前 |
お玉ヶ池種痘所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
説明文には大槻俊斎・伊東玄朴・箕作阮甫は出ているが、1849年に蘭館医オットー・モーニケによって舶載された牛痘摂種法によるものである。
それを上記の3人などの努力により1858年に83名の蘭方医と西洋薬種商の神崎屋源蔵の援助により開されたものである、はい!