先日銀座の伊東屋に行くときにこの碑が目に止まった。
先日銀座の伊東屋に行くときにこの碑が目に止まった。
この辺りは何度か通っていたが今回初めて気付いた。
ここは中央区銀座二丁目。
中央通り沿いのティファニーの前である。
ここが銀座発祥の地の理由は、江戸時代ここに銀貨幣鋳造の役所が設置されたことによると書かれている。
今や銀座は賑やかな商店街の象徴でもある。
江戸時代に銀貨鋳造所があったことが由来します。
「銀座発祥の地 銀座役所跡」と刻まれた記念碑はティファニー銀座本店(中央区銀座2丁目)前にあります。
江戸時代の慶長17年(1612年)、この地に銀貨幣を造る銀座役所が設置されました。
当時の町名は新両替町でしたが、通称銀座町と呼ばれ、明治2年には正式に銀座を町名とすることが公示され、今の”銀座”がはじまりました。
碑が意外と小さいので、通り過ぎてしまいました。
乗り換え途中に発見!
銀座記念碑巡り②〜銀座発祥の地銀座二丁目、中央通りの歩道に設置されている。
そこはティファニー銀座本店の前である。
江戸時代初期、徳川幕府は、現在の中央区銀座に、銀座役所(銀貨幣鋳造所)を設置したことに始まる。
碑文には、銀貨幣鋳造の銀座役所を設置したこと、新両替町という町名があったが、通称を銀座町と呼ばれたこと、明治2年に正式に銀座が町名となったこと、が記されている。
決して大きくはない記念碑だが、歩行者天国を歩く人々にも少し足を止めてほしいと感じる次第。
銀座二丁目の中央通りの歩道上にあります。
Tiffany銀座の目の前です。
徳川幕府時代に銀貨鋳造の土地として銀座ができたという話です。
普段気に留めていない土地名でも改めて由来を知ると面白いのでおすすめです。
銀座に行かれたら足を止めて見てみるのを良いかとおもいます。
「銀座」に対し「金座」もあったんだろう。
慶長十七年(1612年)に徳川幕府がここに銀貨幣鋳造の銀座役所を設置したそうです。
当時の町名は「新両替町」だったそうですが、通称として「銀座町」と呼ばれていたそうです。
明治二年になり、ついに公式に「銀座」が町名になったそうです。
銀座発祥の地の石碑がティファニーの前にあります。
歴史の授業で教わった通り、ここで銀が扱われていたと思うと奥が深いですね。
そして、今もこの場所では銀の宝飾品が売られているのも、不思議な感じです。
銀座発祥の地の碑です。
元々は銀貨幣の鋳造所があったのですね。
そこが今では高級商店街になり、日本一地価の高い場所となっているのは納得の歴史といってもいいかもしれません。
人も多く、時間に追われ、何かと慌ただしい東京ですが、たまには立ち止まり在りし日を思い浮かべるのもいいかもしれませんね。
石碑に説明が彫ってあります。
ティファニー前に碑があります。
江戸時代にはこちらに銀貨の鋳造所がありました。
現在の造幣局と違い、民間鋳造した銀貨を幕府に納めて金をもらっていました。
元禄2年(1689)以降は幕府の勘定奉行の支配下に。
享和元年(1801)銀座役所は日本橋蛎殻町へ移転しました。
当時は両替町と呼ばれ、銀座という名前は通称でしたが、明治5年(1872)新両替町で火事がありその復興の意味を込めて洋風レンガ造りの通りが生まれ銀座通りの名前が生まれました。
1612年(慶長17年)に駿府(現在の静岡市葵区両替町1丁目)にあった銀座役所(銀貨鋳造所)をこの地に移したこの地を新両替町と称し通称を銀座町と呼称するようになり1869年(明治2年)町名を銀座とする事が公示された銀座役所は現在のティファニー銀座ビルの位置に相当する。
名前 |
銀座発祥の地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
海外の高級ブランドショップ等が立ち並ぶ中央区銀座2丁目に「銀座発祥の地 銀座役所跡」と刻まれた記念碑があります。
「銀座」といえば、地名であったり、繁華街や人通りの多い場所などに用いられていますが、江戸時代は銀貨幣を造る銀座役所(銀貨幣鋳造所)のことを「銀座」といいました。
慶長17年(1612)、徳川幕府は、現在の中央区銀座に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置しました。
当時、町名は新両替町とされたが、通称で銀座町と呼ばれ、明治2年には正式にこの場所を銀座と町名する事になりました。