中央通りと昭和通りの間を流れていた掘割。
よく見ないと通り過ぎます。
三十間は約54m。
この幅の堀、ほぼ港だったそうです。
大名屋敷建設のため、全国から木材が運び込まれていたそうな。
その意味がわからない(原文)don't know what its mean
説明板と築石があります。
公衆トイレの横にひっそりと有りました……
立て看板があるだけです。
三十間堀は慶長17年(1612年)に掘られた掘割で、ここから京橋の辺りまで流れていました。
戦国終焉の直前頃に作られ、物流機能以上に防御機能が重視された掘割で、幅が三十間(約55m)あったことが名称の由来となっています。
江戸、明治期を通じて幅が狭められ、昭和27年(1952年)に埋め立てられました。
説明板は直に車道に面した場所にあるので、近くに行く時は車に気をつけてください。
中央通りと昭和通りの間を流れていた掘割。
戦後、灰燼を処理するために埋め立てられた。
名前 |
三十間堀跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.1 |
かつて京橋川と汐留川の間にあった運河で、幅が三十間(約50メートル)あったことから、この名前がついたそうです。
手前にあるのは運河の築石で、1トン半もあるそうです。
さぞかし立派な運河だったのでしょう。
いまは、三十間堀も汐留川も埋め立てられて面影はありませんが、かつて江戸は水の都として、水路で運搬を担っていたのでしょうね。