江戸33観音巡礼の28番札所です。
新撰組局長近藤勇の養父、近藤周助(周斎)のお墓があります。
本当に東京タワーの麓にあります。
近藤周助のお墓は立派で大きなものではありませんが、少し探したら見つかりました。
また、南部家(盛岡、八戸、七戸)の墓所にもなっているようです。
德川家康公を開基とし、元和5年(1619)に、以心崇伝和尚が江戸城北の丸内に創建されたと伝わります。
寛永16年(1639)に現在地に移転しました。
有り難く、江戸三十三観音霊場第28番札所の御朱印 ”霊感殿”と、金地院閻魔堂の”えんま大王”の御朱印を頂きました。
江戸三十三観音霊場の参拝でお伺いしました。
臨済宗南禅寺派のお寺で勝林山金地院といい、霊場第二十八番札所になります。
江戸三十三観音霊場のお寺の中で唯一の臨済宗のお寺です。
東京タワーの麓にあるお寺で、昔の敷地面積は一万二千余坪にも及び東京タワーが建てられた場所も金地院の敷地でした。
江戸時代の伽藍と御本尊の如意輪観世音菩薩坐像は、東京大空襲で全て焼失してしまいました。
現在の八角形の本堂は昭和三十一年に再建され、御本尊も白檀一木造の聖観世音菩薩立像が新刻されました。
お寺の寺務所には「南禅寺東京出張所」の表札が掲げられています。
開山は京都南禅寺中興開山の特賜圓照本光国師以心崇伝和尚で、南禅寺山内の金地院の住職でもあり京都と江戸の二つの金地院を行き来しながら執務していたと伝わる。
金地院崇伝和尚と呼ばれ墨染めの衣をまとい幕政に深く関与していた。
(18/01/20)江戸三十三観音霊場 第28番札所御朱印をいただきました。
(13/11/19)江戸三十三観音霊場 第28番札所御朱印をいただきました。
臨済宗南禅寺派の寺院。
本尊:聖観世音菩薩東京メトロ日比谷線:神谷町駅より650m。
都営大江戸線:赤羽橋駅より700m。
都営三田線:御成門駅より800m。
東京タワーの目の前にあるけど、こじんまりとした静寂な寺院です。
尼さんが親切で、ご本堂に上がらせていただき、お参りをしてきましました。
東京タワーの目の前にあるけど、こじんまりとした静寂な寺院です。
尼さんが親切で、ご本堂に上がらせていただき、お参りをしてきましました。
黒衣の宰相と呼ばれた金地院崇伝縁の寺院で臨済宗南禅寺派の寺院です。
徳川3代にブレーンとして重用された崇伝が南禅寺住職と兼任していたそうで、増上寺とも遜色ない大寺院だったようです。
現在の東京タワー辺りは戦前は金地院の敷地内で、戦後の焼け跡にタワーが建てられました。
名前 |
金地院 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
03-3431-1026 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
東京都港区芝公園にある臨済宗南禅寺派、金地院の直書き御朱印を頂きに参拝。
1619年(元和2年)に開山。
以心崇伝は南禅寺の僧侶で徳川家康の政治顧問を務めていた。
そのため、江戸における拠点として与えられたのが金地院の由来。
以心崇伝は京都では南禅寺塔頭の金地院を居所としており、江戸での居所も「金地院」と称した。
そのため、以心崇伝は別名「金地院崇伝」ともいう。
そして上記の由来から江戸時代までは独立性が強く、宗派に属さぬ単立系寺院であったが、明治に入り、以心崇伝が南禅寺派であったことなど、関係の深かった南禅寺派に加わり現在に至る。
江戸三十三観音、東京三十三観音霊場の札所で、お参りの場合はまず本堂向かって右手の寺務所の呼び鈴を押し、御朱印授与と参拝の旨を伝え、帳面を預けてから靴を脱いで玄関を上がり、そこから本堂内に入り参拝。
そして玄関に戻って帳面を受け取り、納経代をお納めして出る形になります。
目の前が東京タワーなので、その聳える様をまざまざ見られる、なかなか面白い所にお寺はあります。
最寄りは赤羽橋駅か芝公園駅…だと思います。