御成門より二天門のほうが立派!
愛宕神社から増上寺に向かって歩いていて、初めて見ましたが色鮮やかで素敵な門でした。
増上寺には何度も訪れていますが、少し離れているので気付きませんでした。
外国の方々も写真を撮られていました。
東京プリンスホテルの敷地内ですが、地下鉄御成門駅地上出口のすぐそばにあります。
長らく古色蒼然としていましたが1年ほど前に全面改築が完成し、創建当時の色かたちを観ることができます。
元来は近くの増上寺境内の建築物だったのが恐らく明治になって切り離されてここにあるのでしょう。
芝公園近辺の散歩には欠かせないグランドマークです。
東京プリンスホテルの敷地内に国指定重要文化財である「有章院(徳川家継)霊廟二天門」がありますが綺麗です。
東京都文化財情報データベースによれば『有章院は、幼くして亡くなった江戸幕府の第7代将軍徳川家継の院号です。
その霊廟が享保 2年(1717)第8代将軍徳川吉宗により建立され、豪華さは日光東照宮に劣らないとも伝えられますが、昭和20年(1945)の空襲により、この二天門を残して全て焼失しました。
有章院霊廟の唯一の遺構として、貴重な建物です。
有章院二天門は、全体は総朱漆塗ですが、組物や垂木など一部を黒漆塗として引き締めています。
正面中央には両開きの桟唐戸が入り、両脇2間には二天像を安置しています。
』とあります。
都内に残るものでは希少な徳川将軍霊廟の建物で、彫刻だらけで華麗な彩色の本来の姿を取り戻すべく、現在修復工事中。
今夏(2919年)完成予定。
有章院とは7代将軍徳川家継の戒名。
なお霊廟建設は豪華すぎて財政負担が大きく、この家継の霊廟を最後に、8代吉宗が今後は作らないと決定し、以降の将軍は増上寺・寛永寺の既存の霊廟に葬られた。
現在の東京プリンスホテルはこの有章院霊廟と、その父で6代将軍の家宣の文昭院霊廟の跡地に建っている。
昭和20年5月の空襲で、この二天門と通用門(御成門)以外は全て焼失し、奥の院にあった将軍達の墓は増上寺大殿の北東裏に改葬された。
名前 |
有章院霊廟二天門 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
戦災で焼けた7代将軍徳川家継の霊廟の残存。
家継が満6歳で死んで宗家が絶えた将軍家は紀州から吉宗を迎えることになるのだが、吉宗は無駄に一代毎に建てていた霊廟の建築を禁止した。
すなわち有章院(家継の法名)が最後の霊廟となるのだが、現存していれば増上寺は霊廟だらけの景観(隣接して6代家宣の文昭院霊廟、増上寺本堂を挟んで南側に2代秀忠の台徳院霊廟)であったろう。
往時を想像するには日光の三代家光の大猷院霊廟が唯一完存しているので参考になるが、おおむね二天門、勅額門、中門、御霊屋(権現造)、唐門、拝殿、中門、宝塔(墓塔)と並んですこぶる壮観であった。
以前何度か訪問した際は排ガスにまみれ塗装もはげてボロボロだったがようやく塗りなおされたみたいだ。