看板があるだけなので目立たない。
碑などはなく中央区教育委員会による案内板のみ。
以前は聖路加国際大学南西角にあったものがこちらに新設されている。
歩道に標識のみの場所ですが江戸時代の居留地跡、、浅野家大名屋敷跡、鉄砲州稲荷神社、キリスト教会、聖路加ガーデン、関東学院(東京中学院)、立教学院等、各種私学校発祥地と見処多数。
聖路加病院に沿った通りにこの案内板があります。
場所、変わってます…
聖路加病院の受診手続きを済ませて院内の空調がスタートするまでの間、周辺を散歩🚶...。
新しい発見😔💡
看板があるだけなので目立たない。
探すのにしばらく付近をウロウロ、キョロキョロしました。
明治16年(1883)この付近に「耕牧舎」という乳牛の牧場がありました。
明治25年(1892)3月1日牛乳販売を経営していた新原敏三の長男として芥川龍之介はここに生まれました。
しかし7ヶ月のとき母のふくが発病し、家庭の事情で母の兄である芥川道章に引き取られ、現在の両国3丁目辺りに移り、母がその後亡くなったため12歳のとき芥川家の養子になりました。
そんな縁ある場所に看板があります。
赤穂藩上屋敷跡と同じ場所。
芥川龍之介の生家は、この地で牛乳屋さんだった(彼の『大導寺信輔の半生』にも出てくる。
はず)。
後に実母が精神に異常を来したため、いまの両国あたり、本所の実母の実家に預けられる。
そちらにも、いくつか案内の看板が建てられている。
自死するまでの住所を訪ねたければ、JR田端にある「田端文士村記念館」にどうぞ。
牛乳に需要がある、外国人の多い土地だったということだろうか。
芥川龍之介の生家は、この地で牛乳屋さんだった(彼の『大導寺信輔の半生』にも出てくる。
はず)。
後に実母が精神に異常を来したため、いまの両国あたり、本所の実母の実家に預けられる。
そちらにも、いくつか案内の看板が建てられている。
牛乳に需要がある、外国人の多い土地だったということだろうか。
名前 |
芥川龍之介生誕の地 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.5 |
案内板のみです。