立教学院の発祥の地は、いまは聖路加大敷地内のここ。
聖路加国際病院の周りには様々な歴史の碑がある。
芥川龍之介生誕の地、浅野内匠頭屋敷跡など。
ここが立教学院の発祥の地であることを初めて知った。
立教学院発祥の地と刻まれた小さな石碑がある。
1874年C.Mウィリアムズ主教立教学院を開くとある。
「すべての人に仕える者になりなさい」の言葉が刻まれている。
立教学院創立125周年の1999年に建立されたようだ。
今立教学院は池袋にある。
この碑の道路を挟んだすぐ向かいには慶應義塾発祥の地の碑がある。
沢木耕太郎が父のことを書いた「無名」に、“隅田川を少し遡った隣街が明石町だ。
私が生まれ育った築地の小田原町とは、がらりと変わった品の良い、ちょっとハイカラな空気が流れているところだとは子供心にも感じられた。
そこには六角塔のある立教大学、聖路加病院、ペンキ塗りの異人館があった“と読んで検索して来ました。
初めて知りました。
わたしは 大学院が立教の2007年の出なのですが、聖路加国際病院と運営母体が同じ、聖公会なので、前は聖路加での診療が無償だったらしいのですけど、当時は、既にその制度はありませんでした。
自分が立教の大学院に入って、聖路加看護大学院との単位共通の授業を受けに来て始めて、この碑を意識しました。
昔はどんなだったんでしょうね・・・
この周りには、ミッションスクールの発祥地が固まってますね。
青山学院、明治学院、立教学院等々。
目立たない碑があるだけ。
ベリーグッド。
パット見だと碑と分かりづらいです。
大正時代に池袋へ移転したが、立教学院の発祥の地は、いまは聖路加大敷地内のここ。
写真のような石碑があるが、あまり詳しいことは書いていない。
築地が明治時代にはミッションスクール銀座だったことがよく分かる。
名前 |
立教学院発祥の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.rikkyo.ac.jp/closeup/chapel/2018/mknpps00000088cu.html |
評価 |
3.8 |
築地には、様々な発祥の地があります。