由緒書き「東京都指定旧跡 最初のフランス公使宿館跡...
最初のフランス公使宿館跡 / / .
東京都指定旧跡。
当地周辺は,開国によって,欧米列強の公使館が置かれた場所として知られる。
これらの一部の公使館は移転を繰り返しているため,どこそこがそれとは言い難くはあるが,一般に,麻布の善福寺にはアメリカ公使館,同じく春桃院にはプロイセン公使館,高輪の東禅寺にはイギリス公使館,芝の西応寺にはオランダ大使館,そして,当地済海寺にはフランス公使館が置かれていた。
寺町であった当地周辺が公使館に選定された理由は,多人数を抱える外交団を十分に収容できる敷地面積が確保されており,また攘夷志士からの襲撃に備える警備兵をよく配置できたこと,などが良く指摘される。
こういった護衛は各藩に下命されており,フランス公使は,伊勢亀山藩などが担当していた。
また,フランス公使で有名なのは,レオン・ロッシュだろう。
イギリスが積極的に薩長に組したのに対し,フランスは彼の方針の下に江戸幕府に組した。
彼は軍事顧問団を派遣させ,幕府の旗本の近代的軍隊の訓練を行わせたとされる。
さらに,レオン・ロッシュは日本の養蚕技術の提供と引き換えに,江戸幕府への製鉄及び造船技術の提供を約束し,これに基づいて作られたのが,横須賀製鉄所(横須賀造船所)であったが,その完成を見る前に幕府は維新政府に敗れてしまった。
いずれにせよ,そういった歴史的出来事の物理的起点になった場所が当地ということである。
なお,案内板に「済海寺は明治年間に敷地が分割され、かつてのフランス公使館の敷地は、現在の済海寺本堂敷地とその西隣の地域となります」とあるが,正しくは北隣であろう。
目立たない史跡である。
道を歩いていたら気づかない。
なぜなら済海寺と言う寺の境内にあるから。
ド・ベルクールやロッシュも滞在した。
江戸時代末期に開国に向けたムーブメントが始まった頃、外国のお付きの人やら公使やら沢山の人が一緒に泊まれたのが当時のお寺。
ここもその一つでかなり大規模なお寺です。
この界隈にお寺が多いのは西から攻めてくる敵(豊臣家側の残党?)に備えて江戸城の南側の明石町辺りの複数のお寺を、兵を駐屯させるには優れているということでこの辺に強制的に移築したのが始まりらしい。
家光の頃から始まったと聞くこの都市計画、空き地になった明石町はその後、御家人や旗本の住まいになったそうで江戸時代末期には相当の人数が住んでいたらしいですね。
都市計画の本当の目的は江戸城の近くに御家人や旗本を住まわせるニーズが高まってお寺を移す方がまず先に立っていたのかもしれません。
立て看板に説明書きされています。
名前 |
最初のフランス公使宿館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
済海寺境内に入ると、由緒書き「東京都指定旧跡 最初のフランス公使宿館跡」と「石碑」があります。
安政5年(1858年)に締結された日仏修好通商条約により、ここ「済海寺」にフランス公使館が設置され、初代駐日公使ド・ベルクール(着任時は総領事)がここに駐在しました。