熊本藩主細川斎護が旧藩主だった清正公の分霊を下屋敷...
とても落ち着く空間でした。
何度か足を運びました。
豊臣秀吉の家臣で武勇に優れ忠義にも厚かった加藤清正を祀っているお寺。
元々は加藤家の下屋敷で、1861年に細川藩主細川斎護が熊本本妙寺の清正の分霊を勧請して創建されたそうです。
清正の死後、加藤家に代わって熊本城主となった細川忠利が「あなたのお城をお預かりします」と清正の廟に遥拝したと言いますから、内政にも優れ民に愛された清正は細川家からも尊敬され、それが代々受け継がれてきたのでしょうね。
胸が熱くなりました。
寺号は清正公寺、宗派は日蓮宗の寺院です。
肥後国熊本藩主加藤清正公を祀っています。
当地には加藤家の後を受けて肥後の国の領主となった熊本藩主細川氏の下屋敷があったところで、1861年(文久元年)、細川斎護が熊本本妙寺に安置する加藤清正公の分霊を勧請してこの下屋敷に祀ったとのことです。
明治維新後には一時、加藤神社と称したといたそうです。
1885年(明治18年)、仏式に戻して清正公堂と改称したとのことです。
浜町公園の中にひっそりと佇んでいます。
日頃は人はいませんが、綺麗に手入れがされていて、お参りしていても気持ちいいです。
せいしょうこうじと読むそうです。
熊本の本妙寺の別院で、熊本藩主細川斎護が旧藩主だった清正公の分霊を下屋敷に勧請したのが始まりと伝わります。
有り難く、御主題を頂きました。
浜町公園のすみにあるこじんまりとしたお寺明治期には加藤神社だったとかでお寺と神社の間の建築に見えます桔梗紋と加藤家の家紋があり。
無住のため毎月24日以外は、ご主題などには応じていただけないとのことです。
親切な対応をしていただき、日を改めて出直したいと思います。
日本橋の浜町公園内にあるお寺。
熊本城で有名な加藤清正公を祭っている。
敷地は大きくないが、山門と本堂がある。
暫くお上人さま不在とのことで御首題は頂けませんでした・。
せいしょうこうじと読むそうです。
このお寺のある浜町公園はもともと熊本藩のお屋敷があったところで、熊本藩の初代藩主加藤清正をお祀りしています。
港区白金にも清正公と呼ばれている覚林寺があって、そこも熊本藩のお屋敷跡だそうです。
清正が猛将だったと伝えられており、勝負事の願掛けをしたい人にご利益がありそうとのこと。
説明書きなどを見つけられなかった。
初めて参拝させていただきましたが、清正公を祀っている仏閣とは知らず、大変失礼してしまいました。
新たな気持ちで再度参拝させていただきたいと思います。
浜町公園は関東大震災後の復興事業の一環として、隅田公園、錦糸公園とともに計画され造られた。
当地は江戸時代に熊本藩主細川家の下屋敷があり、明治時代には細川家の邸宅があった。
その名残で園内には肥後熊本藩初代藩主で虎退治の逸話で知られる加藤清正を祀る清正公がある。
清正公の現在の堂は1959年に再建されたものである。
初代熊本藩主加藤清正を継いだ加藤家2代忠広は、寛永9年1632年駿河大納言事件に連座したとされる罪で改易され出羽国庄内に配流、加藤家は断絶した。
代わって同年豊前国小倉藩より、細川忠利が54万石で入部し、以後廃藩置県まで細川家が熊本藩藩主として存続した。
平成29年5月28日日曜日に訪問。
いや参拝?いやなんていうんだ。
とにかくきました。
公園の中にあるお寺さんは、私にとって珍しいものを感じました。
このドクダミ草の道並みが良かったね。
理路整然として、これもここで管理しているんだろうね。
神社と思ったら日蓮宗の寺だった。
加藤清正公の寺だ。
寺の入口右脇に枯れ木に恵比寿様の彫り物がある。
細川家54万石江戸中屋敷後、熊本本妙寺別院。
熊本本妙寺から清正公の御霊を分霊して建てられたお寺です。
御首題頂けました。
名前 |
清正公寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3666-7477 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
浜町公園の脇にひっそりと達お寺。
5月の新緑のシーズンのせいか、野生の草花が盛り盛り咲いているました。
あまり御手入れの頻度は高くないのかな?加藤清正を祀っているようですが、その謂れが分かるものがなかったです。