松尾芭蕉の旧居、芭蕉庵跡に建つ稲荷社。
芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡) / / / .
松尾芭蕉の旧居、芭蕉庵跡に建つ稲荷社。
有名な、古池や蛙飛びこむ水の音…はこの芭蕉庵で詠んだ句。
芭蕉亡き後、武家屋敷の敷地に取り込まれ、蛙が飛び込んだ古池どころか松尾芭蕉が住んでいたという痕跡は、太平洋戦争の空襲もあり現在に至るまで全く残されていない。
ただ、大正期に津波の被害に遭い、その時に地中から芭蕉の愛した蛙の石像は出てきたんだそうな。
小名木川に架かる萬年橋界隈は、芭蕉が江戸日本橋から移り住んだ地で、芭蕉にまつわる記念館や史跡、展望台などの施設が数多くある。
芭蕉展望台下の閑静な住宅地に佇む赤い鳥居のお稲荷さん…大正6年の地震と津波の折、芭蕉『遺愛の石の蛙』が出土したと伝えられるのがこの地で、その後、地元の人たちによって、このお稲荷さんが創建されたのです。
小さな神社ですが、休日には近くの史跡と合わせて訪れる芭蕉ファンも多いようです。
芭蕉がこの地に来て340年、時を越えて芭蕉の句は、いまなお色あせることなく、人々の心に蘇ってきます。
…古池や蛙飛び込む水の音…神社から出てくると、前を通りかかった奧さんから「ごくろうさまでした。
」と声をかけられて、心に熱いモノを感じた。
これが下町人情というのだろぅか…。
創建年は大正6年 1917年に起こった津波以後。
津波後に松尾芭蕉が愛した石造りの蛙が発見され、地域住民が動き創建されたと言われている。
小名木川に架かる万年橋の北側にあり、橋を渡ると見えてくる。
小さな神社ではあるが、土日は参拝している人の姿をよく見る。
此処だけで、味わうべきではない。
芭蕉の場所だと、想いを馳せて。
案内板によると、⊂(・ε・`)ノシ.:∴深川芭蕉庵旧地の由来俳聖芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して延宝八年から元禄七年大阪で病没するまでここを本拠とし「古池や蛙飛び込む水の音」等の名吟の数々を残し、またここより全国の旅に出て有名な「奥の細道」等の紀行文を著した。
ところが芭蕉没後、この芭蕉庵は武家屋敷となり幕末、明治にかけて滅失してしまった。
たまたま大正六年津波来襲のあと芭蕉が愛好したといわれる石造りの蛙が発見され、故飯田源次郎氏等地元の人々の尽力によりここに芭蕉稲荷を祀り、同十年東京府は常盤一丁目を旧跡に指定した。
昭和二十年戦災のため当所が荒廃し、地元の芭蕉遺蹟保存会が昭和三十年復旧に尽くした。
しかし、当所が狭隘であるので常盤北方の地に旧跡を移転し江東区において芭蕉記念館を建設した。
昭和五十六年三月吉日芭蕉遺蹟保存会。
芭蕉庵跡と伝えられているところにある小さな神社ですが、句碑や、記念の石碑など、芭蕉に関わるものがいろいろなあります。
深川芭蕉庵のスタンプが置いてありました。
「奥の細道」出発の地〈とされる処〉“江上の破屋”はここにあったのだろうか?文献には小名木川が隅田川に流れこむ「江戸深川本番所森田惣左衛門屋敷内」とある。
こういう歴史を物語る神社は感慨深い。
この豊かな大乗仏教の国に生まれ育った手前にとって、文学において「奥の細道」の最初の句ほど胸を打つものは、山本周五郎の小説を除けば他には知らない。
無意識に草庵の柱にある面八句を探してしまう。
「古池や蛙飛びこむ水の音」等の名吟の数々を残した芭蕉の本拠地今回は時間に余裕がなかったので寄りませんでしたが近くには芭蕉記念館が近くにあります。
芭蕉稲荷神社は、江東区常盤にある稲荷神社です。
芭蕉稲荷神社は、大正6年の津波来襲の後、芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、故飯田源太郎氏等地元の人々の尽力によりここに芭蕉稲荷が創建され、大正10年東京府により常盤一丁目が旧跡に指定されたといいます。
(「猫の足あと」より)
平成29年2月11日訪問。
ここに芭蕉さんが住んでいたのでしょうね。
川風が強い日もあったことでしょうし、冬は寒かったかもね。
それより、ここのお隣に住んでいらっしゃる叔母ちゃまとの会話が楽しかった。
東京江東区常盤1丁目の〔芭蕉稲荷神社〕は〔芭蕉庵〕があったと推定されている場所。
様々な碑が建っている。
① 芭蕉句碑 古池や蛙飛び込む水の音 ② 俳聖芭蕉翁生誕三百五十年祭記念 ③ 奥の細道旅立ち三百年記念碑 ④ 芭蕉記念館此ヨリ北百五十米 近くの万年橋の〔番所跡碑〕の中にも芭蕉の句が記載されている。
古池や蛙飛込む水の音。
名前 |
芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
松尾芭蕉のゆかりのある稲荷神社。