住職不在の時3種類の大きさの書置き有り。
魚籃坂に面した寺院境内を擁する浄土宗の魚籃寺。
現在の境内は広くはありませんが、創建は承応元年(1652)で、「魚籃観世音菩薩」を本尊とし、江戸三十三箇所観音霊場の第25番札所にもなっています。
塩地蔵尊も祀られています。
境内に残されている幾つかの樹木、特に本堂前の大木が昔ながらの寺院景観を伝えてくれているように感じます。
朱色の山門が特徴的です。
ご本尊の魚籃観音さまのほか、六地蔵尊が(参拝者から見て)山門の右脇に、塩地蔵尊が境内右手に、馬頭観音さまが本堂右脇に、お薬師さまが同左手前にそれぞれ鎮座しています。
いずれの尊像も多くの人々から深い信仰を受けており、殊に塩地蔵尊の所には大量の塩🧂の袋が積み重ねられていました。
お薬師さまはとても柔らかな慈悲深いお顔をしており、コロナ鎮定を願い献香させていただきました。
また線描の馬頭観音さまも冠に描かれた馬🐴の顔がとても可愛いかったです。
本堂は歴史を感じさせる木造建築で、一面に貼られた多くの千社札が更にその感を強くさせます。
またご住職さまや寺僧の方も大変ご親切でした。
お声がけ本当にありがとうございました。
🙏
江戸三十三観音霊場の参拝でお伺いしました。
浄土宗のお寺で三田山水月院魚籃寺といい、霊場第二十五番札所になります。
大分県中津市の圓應寺地の中に魚籃院として元和三年(1617年)に創建されました、その後寛永七年(1630年)に現在の三田に移転してきました。
四代将軍の徳川綱吉公が将軍職に着いた年(1652年)に現在の三田の場所に観音堂を建てて今日に至ります。
魚籃寺の御本尊は像高18cm余りの木造の魚籃観世音菩薩で、頭髪を唐様のまげに結んだ美しい乙女が右の手に魚を入れた竹籠を下げ、左の手で衣を少し引き上げている立像です。
港区三田の魚籃坂の中腹に位置するお寺です。
魚藍坂という不思議な名前の坂があり、閑静な住宅地にこの赤い山門の由緒ありげなお寺さんがありました。
山門前には可愛い六地蔵さん。
又、境内には塩地蔵様もいらっしゃいました。
魚藍寺の歴史は古く、法誉上人が大分県中津市に元和3年1617年に創建し、その後三田に移転し、弟子の称誉上人が承応元年1652年に観音堂を建立したそうです。
魚藍とは魚を入れる魚篭の事で、こちらのご本尊は「魚藍正観世音菩薩」に由来しています。
その昔中国に美しい乙女の姿で現れ、魚を売り歩き、仏法を広めた観音さま。
魚という字がつくだけあって大漁祈願の御利益があるとか。
こちらの菩薩さまは、江戸三十三観音霊場25番、東京三十三観音霊場4番札所です。
魚籃坂の名前のもとになってるぎょらんじです。
ぎょらんでら?魚籃寺の上には「三田山」とつくので三田の地名のもとにもなっているのかもしれません。
なかなかえぐい坂で頂上と麓になぜかふたつのピーコック。
白金高輪のシロガネーゼ奥様たちがアシスト自転車でグイグイ登っていました。
(18/08/03)江戸三十三観音霊場 第25番札所「魚籃観音」御朱印をいただきました。
(15/09/05)江戸三十三観音霊場 第25番札所「魚籃観音」御朱印をいただきました。
浄土宗の寺院。
本尊:魚籃観世音菩薩東京メトロ南北線、都営地下鉄三田線:白金高輪駅より500m。
都営地下鉄浅草線:泉岳寺駅より750m。
こちらもお寺の観音様は、珍しく乙女の姿をした観音様です。
その昔、仏が、乙女の姿になり、竹かごに入れた魚を売りながら、仏法を広めたという中国の故事に基づいて造形されたものだそうです🙇
お寺の入口には、6体のお地蔵様があり、掲示板にはありがたいお寺からのメッセージが書かれています。
ただ、お寺にお参りするも、ガラス戸が汚れていて中は見えません。
もっと綺麗にてしてほしいと願います。
2016/7/30拝受 江戸三十三観音巡礼第25番札所。
礼拝を終え庫裏にむかうと「住職に御用はインターホンを押して中へ、えんりょは無用です」とある。
その通りに中に入ると「住職は不在なので書置きの朱印があるので持ち帰る」ようにとありました。
紙の大きさは3種あり、自分の朱印帖と同じサイズのものを頂きました。
納経料は赤いポスト型の貯金箱に入れる。
有り難く頂きました!
名前 |
魚籃寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3451-5677 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
写真以上に境内に車が多くて参拝しづらいし、もう少し整えて欲しかったかな…書置きの日付の入ってない御朱印が500円。