江戸東京博物館の敷地内に在る家康公像。
都内にある歴史上の人物の銅像については「資料1」『東京江戸案内 巻の4 相互と銅像編』で調べる事ができますが、此処には徳川家康公の銅像が載って居りません。
この本が書かれた時代には都内に徳川家康公の銅像は無かったと思われます。
社団法人江戸消防記念会から江戸博物館に徳川家康像が寄贈された経緯は1994年4月25日です。
現在(2014年10月)都内に存在する事はこの一体だけとという事になります。
製作者は山下恒雄氏、像の高さは3.7メートル(台座からの高さ7.76メートル)、重量30トンも有ります。
台座の亀について正式な説明書きは無いのですが、水の都としての江戸を表現しているとも言われて居ります。
もっとも、昔から亀を土台にする像は多く見られます。
「資料2」『世界大博物図鑑 第3巻 両生・爬虫類』によると、この亀の形をした動物を贔屓(ひいき)と言い、元々川の神の名であって、亀の形をとってこの世に現れると言われています。
この幻獣は石碑にかたどられ、「不動」の象徴とされております。
話を過去の徳川家康像に戻すと、過去に徳川家康像が全くなかった訳ではなく「資料3」『都史紀要39 レファレンスの杜』によると、嘗て東京市本所区役所正面玄関前に渡辺長男氏作の徳川家康像(大正9年7月建設)がありましたが、昭和18年3月に太平洋戦争の為に供出され、戻ることは座居ませんでした。
この像の写真は「資料4」『帝国銅像鑑 上巻』に見ることができます。
なお、都内以外では愛知県と静岡県にも家康像があります。
「まとめ」事実上の「天下争覇」の戦いとなった関ヶ原の合戦で勝利を勝ち取ります。
老境に入ってから政治的剛腕ぶりから悪役扱いされることが多いようですが、戦国時代最大の巨人であったことは確かです。
銅像は、本所・両国の江戸博物館横の敷地内(正面入り口から向かって左の通路)に有ります。
江戸博物館の開館を記念して社団法人江戸消防記念会から寄贈された銅像で、山下恒雄氏(当時)が鍛金(過熱した金属を槌で叩く金属加工法)により製作をし台座は、亀に似た幻獣・贔屓(ひき)で、重き荷を背負うのを好むといわれます。
因みに亀の姿は、河川が走る江戸の町に因んで「水の神」ともいわれる亀の存在をかけたものともいわれます。
その上に幕府の将軍職が15代続いたことに因んだ15段の台座を設え、鷹狩り装束の立像が置かれています。
像の左手には、家康が好んだという鷹狩りに用いた鷹がとまっているという凝った意匠の像です。
徳川家康は「鷹狩りの佐仲に戦の仕方や幕府安定をも考えて」いた事です。
また、太田道灌の江戸幕府の前進であった事もあった事を否みません(右側の二枚のお写真)。
行き違い等々の切はご容赦下さいませ。
本所亀沢町6代末孫(参考資料)【資料1】『東京江戸案内 巻の4 相撲と銅像編』(桜井正信編 八坂書房 2004年 2913/724/004)【資料2】『世界大博物図鑑 第3巻 両生・爬虫類』(荒俣宏著 平凡社 1990年 4803/2/3)【資料3】『都史紀要39 レファレンスの杜』(東京都公文書館 2003年 36/2136/5-39 p.210)【資料4】『帝国銅像鑑 上巻』(栗田淸美著 大日本帝國史蹟研究會出版部 1935年 7117/3/1 p.119)【資料5】『ふるさとのこころ 銅像』(稲本博企画・編集 サジフミオ写真 日本報道記者会 1991
両国駅のそば、不思議な像です。
家康から15代続く⁉️
両国駅を降りて江戸東京博物館と日本大学第一学園の間の小路に江戸の街を造った徳川家康の像がある。
これまで各地で観てきた家康像と異なり大分デフォルメしてある。
亀の甲羅の上に狩の姿で立っている。
顔が笑顔で恵比寿様みたいなのも他と違っている。
両国 の 江戸東京博物館 の近くにある 徳川家康像 だけ、遠目に見ることができた✨
徳川家康の銅像があることを知らなかったので江戸東京博物館近くにあることは望ましいと思いました。
路上から見ると後ろ姿っていうのが何とも…江戸東京博物館から見ろってことなんでしょうけどね。
中国に伝わる贔屓という亀に似た霊獣に乗っていらっしゃる鷹狩り装束の神君家康公の像。
贔屓は重い荷物ほど大好きだとか。
家康公の台座は徳川将軍の代と同じ15段。
江戸/東京の街の礎を作った家康公の像は確かに東京ではあまり見られない気がします。
江戸東京消防会が江戸東京博物館に寄贈されたそうです。
徳川家康(とくがわ いえやす)徳川家の始祖。
旧称は松平元康(まつだいら もとやす)。
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名・天下人。
安祥松平家9代当主。
戦国時代に終止符を打った武将で、江戸幕府を開府し初代征夷大将軍となる。
三英傑のひとり。
江戸東京博物館が作ったんでしょうね。
博物館が出来る前はやっちゃ場(東京青果市場)だったから、こんな像は必要なかったしね。
それに徳川家康が豊臣秀吉に国替えを命じられたのは武蔵国であって、当時は隅田川が国境だったから、今の墨田区は下総国になり家康が隅田川を渡って来たという記録が無いから、こんなものを作った意味がわからない。
今日の東京の発展を築いたのは、家康公と言っても過言ではありません。
江戸を開発し、世界的都市に発展させた礎を作った人物。
江戸東京博物館を出て駅に向かって少し歩くとと道沿いに大きな亀の上に立つ像が見えて来ます。
銘板によると東京の基礎になる江戸開府した徳川家康の偉業を称えて建立された立像の様ですが、どこかユーモラスで親しみのある像です。
実物は写真で見て想像していたよりもかなりデッカイです。
江戸東京博物館のバスの駐車場通り近くにある家康像亀の上に家康がいるという少し変わった姿ですが、私が聞いたことがあるのは家康は他の武将に比べて成長が遅いものの亀のようにゆっくりと進み、着実に天下をとった人。
そして元々江戸は水郷で、亀と水は縁がある。
その場所の天下をとったという事で亀の台の上に家康がいるそうです。
何で、この場所に鷹狩り姿の徳川家康公が亀の上に立たれた銅像があるのか分からない。
江戸東京博物館と日大一中の間の道路に在ります。
もっと見晴らしの良い場所に移転してはどうでしょうか。
徳川家康とは思われずみんな素通りしてます。
なぜか亀に乗ってます。
江戸東京博物館を出て駅に向かって少し歩くとと道沿いに大きな亀の上に立つ像が見えて来ます。
銘板によると東京の基礎になる江戸開府した徳川家康の偉業を称えて建立された立像の様ですが、どこかユーモラスで親しみのある像です。
名前 |
徳川家康公銅像 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.4 |
江戸東京博物館の敷地内に在る家康公像。
施設の駐輪場がJR両国駅側から都営地下鉄側へ移らなければ気が付かなかったと思う。