目立たない所に説明看板があるだけ。
小津安二郎の功績はすごいとしても、ここは誰もが通りすぎる実に何でもない場所でした。
探すの苦労したのに。
昭和初期の映画監督で、独特な作風で後の映画作品に多くの影響を及ぼしたと言われる。
目立たない所に説明看板があるだけ。
歩道橋に隠れて目立たない。
歩きのスピードであればいいが、自転車では通り過ぎてしまう可能性もある。
下町生まれだったんだぁ。
小津監督は元は深川の人だったのだね。
説明板が建っており、下のように書かれてました。
江東区の生んだ世界的映画監督小津安二郎は、明治三十六年(1903)十二月十二日、この地に生をうけました。
生家は「湯浅屋」という屋号の肥料問屋でした。
安二郎が十歳のとき、三重県松阪町に転居、中学校卒業後、尋常小学校の代用教員を1年間勤めた後、大正十二年(1923)再び上京、深川和倉町に住み、松竹蒲田撮影所に撮影助手として入社しました。
昭和二年(1927)監督に昇進、処女作時代劇「懺悔の刃」を監督しました。
その後の小津安二郎監督作品は、「出来ごころ」に代表されるような、下町特有の情緒や人情味が描かれ、またローアングルによる撮影スタイルなどによって、家族の触れ合いや日常生活を端的に描く独特の作風を作り上げていきました。
昭和三十七年(1962)「秋刀魚の味」を発表、映画人としては、初の芸術院会員となりました。
この作品が小津安二郎の遺作となり、翌昭和三十八年(1963)60歳で死去しました。
その作品の価値は死後内外共にいよいよ高まり、世界最高の映像作家として評価されています。
監督って東京生まれだったんですね。
ここで巨匠が生まれた。
名前 |
小津安二郎誕生の地 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
03-3647-9819 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.1 |
ここなんです。
案内板が有ります。