碑が建っており、下のようにありました。
富岡八幡宮に伊能忠敬さんの銅像がありますがここは天文学を学ぶための住居であった場所です。
また富岡八幡宮に祈願して日本全国を廻って日本地図を作りました。
日本地図を作った伊能忠敬の江戸の住居跡 ここから永代橋に毎日歩き距離を測る訓練を。
江戸のシニアベンチャーにして学者 偉人 それを石碑一本にて感じて下さい。
石碑というより道標みたいだな。
昔の街道の追分にあったこれより○○道,みたいに作ったのは地図を作ったことにかけたんだろうか?江戸時代は、40~50才あたりになると商家の場合は身代を息子に譲り隠居して第二の人生を送るのがふつうだったようで、その場合、店は譲るけど金は隠居生活の為に持ち出すらしい。
伊能忠敬が地図を作れたのはその金があったかららしいね。
意外と知られてないんだけど、日本地図を作る前に忠敬は、測りを研究したそうで、長さを測る(一尺)の長さがバラバラだったそうです。
分かりやすく言うと、畳には江戸間、中京間、京間というサイズの違いがある。
この違いの原因は職業や地方によって一尺の長さに違いがあったからで、忠敬は研究の末に一尺を30.3センチとしたそうで、明治時代に尺貫法を改定した時にこれを採用したそうだ。
碑が建っており、下のようにありました。
伊能忠敬は千葉県に生れ江戸にでて高橋東岡(高橋至時)に測量術を学び寛政7年(1795)幕府の命をうけて全国を測量し沿海路程図を完成した。
その測量の原点は伊能忠敬の居宅であった。
伊能忠敬ははじめこの付近にすみのち中央区八丁堀にうつり正確な地図を完成した。
伊能忠敬は文政元年(1818)4月13日74歳をもって死去し台東区源空寺に葬られている。
伊能忠敬住居跡の石碑だが、石碑以外には何もなく、これを主目的地には出来ない。
葛西橋通りと言う比較的大きな通り沿いにあるのだが、車に乗っていては気づかないレベル。
自転車のスピードでも通り過ぎてしまうかもしれない。
最寄り駅は東京メトロ東西線の門前仲町駅。
3番出口からだと徒歩5分程度。
1番出口から出てしまうと10分弱かかってしまう。
富岡八幡宮の鳥居をくぐって直ぐの所に銅像があるから、それとセットで楽しむのがいいと思う。
もちろん標柱だけの史跡ですが、同じ「千葉県人」として、江戸時代では「老年」と言ってよい時期から天文学を(素養はもちろんあったにせよ)学び、ついには日本全体の測量という壮挙を成し遂げた伊能忠敬は、尊敬し、また励まされる人物です。
下総佐原から50歳を過ぎて出てきて、この地に「好きな学問ができる!」と希望に胸を膨らませて住んだ、その若々しい知性に感動です。
もちろん標柱だけの史跡ですが、同じ「千葉県人」として、江戸時代では「老年」と言ってよい時期から天文学を(素養はもちろんあったにせよ)学び、ついには日本全体の測量という壮挙を成し遂げた伊能忠敬は、尊敬し、また励まされる人物です。
下総佐原から50歳を過ぎて出てきて、この地に「好きな学問ができる!」と希望に胸を膨らませて住んだ、その若々しい知性に感動です。
名前 |
伊能忠敬住居跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
麺屋 縁道の近くにあった伊能忠敬住居跡をたまたま発見👀。
.あの、日本地図を脚で測量して沿海路程図を作成した人物が、ここに住んでおり、江戸幕府から命を受けた場所とのことでびっくり~😲。
.今回は、麺屋縁道(えんどう)で、たまたま見つけた伊能忠敬の沿道(えんどう)との縁を、感じることが出来ました~(^^)。