日本プロ野球史の伝説。
歴史を感じますネ。
日本のプロ野球発祥の地とも言える洲崎球場があった場所には、いまや某企業の巨大な社屋が建っています。
目を閉じて頭の中で想像するしかない当時の球場ですが、そのモニュメントが敷地内歩道脇に設置されています。
以前、あるスポーツライターの書籍で、「洲崎球場の跡はわからなくなっている」と読み、そんな大きなものが所在不明なんてありうるのかと怪しんだのだが、その後の調査で場所がある程度特定されたようで、碑文が建っている。
洲崎は、遊郭を抱える土地だった。
明治時代に根津遊郭がこの地に移され、売春防止法が施行されるまえ、昭和33年3月31日まで存在した。
球場と遊郭は隣接していたわけではない(遊郭はもっと木場寄り)けれど、日本のプロ野球の草創期の地位や人気は、大学野球に比べて低かったこともあり、最初の球場はこういう土地にある意味、追いやられていたのである。
いまは江東運転免許試験場や、警視庁機動隊、大企業のオフィスビルなどが建つ一帯となっている。
平日の昼頃に訪れたのでスーツ姿のサラリーマンが多かった。
消えた球場の資料は少ないので勉強になりました。
以前跡地を見に行った事が有ります。着いたのが丁度正午ごろでこの辺り会社が多く昼メシを食べに行く人たちが多く看板の写真は撮れませんでした。昭和初期この球場は海に近く満潮になると海水が外野の芝を濡らしスタンドにはカニが這いずっていたそうです。
昭和11年、阪神の景浦将は巨人,沢村から特大の3ランを洲崎場外に叩き込みました。伝説のホームランです。
球場の痕跡は看板のみと、少し寂しいです。
記念碑しかありませんがこの場所で阪神巨人戦をやってたんですね。
かつては、ここに野球場があり、沢村ら職業野球の選手がプレーしていた。
潮が満ちると海水が流れ込みプレーが中断することもあったという。
江東区役所には模型がある。
日本プロ野球史の伝説。
洲崎球場の跡の記念碑です。
周りに当時を偲ぶものはありませんが、記念碑の説明と周りの風景のコントラストがかえって時の流れを感じさせます。
江東運転免許試験場の前の通り沿いにあります。
球場跡と言っても道端に看板があるだけですが、歴史を感じます。
名前 |
洲崎球場跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
03-3647-9819 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.city.koto.lg.jp/103020/bunkasports/bunka/bunkazaisiseki/shiseki/17024.html |
評価 |
3.6 |
江東免許センターの斜向かいにあります!道を通りがてら見ることが出来ます!