都営地下鉄新宿線の大島駅から徒歩五分程南下した小名...
大島稲荷神社(大島神社) / / / .
都営新宿線大島駅から程近い小名木川沿いにある重厚な造りの神社でした‼️道路跨線橋の脇にあるので車でよく屋根及び上部をよく見てはいたのですが、電車でそばに行く機会があったので足を延ばしてみました🎵🎵
かえるの御守り可愛いです!!
とても親切に御朱印対応していただきました。
小名木川に面した境内に鎮座される大島稲荷神社、慶安年間(1648-1651)の創建と伝えられます(由緒記)。
松尾芭蕉ゆかりの神社で、境内に句碑や芭蕉翁像があります。
広い境内ではありませんが、樹木が茂り、手水舎、石燈籠、狛犬、記念碑などが配置され、厳かで清々しい雰囲気が感じられます。
銅板葺朱塗り社殿は豪勢で立派ですが、艶やかすぎる印象。
社務所も朱塗で目立っています。
都営地下鉄新宿線の大島駅から徒歩五分程南下した小名木川沿いに建っている神社。
創建は江戸時代の1629年との説がありそれ程広くなくコンパクトな感じのする佇まい。
周辺は静かな場所でゆっくりと参拝できる雰囲気。
その昔、津波や洪水などの水害や疫病に悩まされたため、山城国の伏見稲荷大社の御分霊を奉遷して現在地に祀ったとされている。
明治維新後の旧別当の愛宕山勝智院から分離して1837年より猿江神社が兼務していたとされ、1909年より佐竹清太郎氏が社掌になり以降佐竹家が奉仕している。
また、1897年に旧浅草光月町入谷田圃鎮座の太郎稲荷社と1944年に隣地の無格社愛宕神社を合祀したと記されている。
綺麗に整備されてます。
本殿は立派な造りでした。
コロナの関係で御朱印やっておりません。
広い境内ではありませんが、ゆっくり参拝してきました。
とても立派な神社⛩です。
静かで落ち着きの有る境内ですが、御朱印は、コロナ禍の影響で頂けません。
書置きの御朱印ございません。
人の居る気配が見当たりません。
丸八橋のよこ、小さな神社です。
いろいろと凝縮された感じ。
橋の袂、由緒正しいお稲荷さんでした松尾芭蕉さん、色んな場所に由縁がありますね🎵
街中にあるけど、落ち着いた神秘性がある。
御祭神は宇迦能魂神 迦具土之命。
創建年は慶安年間で、1648年から1651年の間。
元禄5年 1692年に松尾芭蕉が参拝し、一句詠んだ事にちなみ、境内に句碑が建てられている。
前の道が狭く、結構交通量も多い為、撮影する時に苦労する事もある。
境内は緑が多めで落ち着いた雰囲気。
お詣りすると心がスッとする。
慶安年間(1648~1652)、小名木川近くの海辺が度々津波に見舞われて、耕地が荒廃し住民が苦しんだことから、伏見稲荷大社の分霊を奉遷し産土神として奉ったのに始まります。
有り難く、”大島稲荷神社”の御朱印を頂きました。
境内は狭いけど鮮やかな朱塗りの社殿が印象的。
境内社の佐竹神社の御朱印もいただける。
江東区の神社はどこの神社も神職さんの物腰が柔らかくて逆に頭が下がる。
令和2年1月1日の15時頃に御参りをすませ御朱印をいただきたく社務所に行きましたが誰も居らず、チャイムを2〜3回鳴らし15分程待ちました。
それでも誰もいらっしゃらず、帰りました。
御守りも何もないけど気に入ってます。
秋に添て行はや末は小松川(秋を探しながら川に沿って行けばやがて小松川に行くであろう)芭蕉が50歳ぐらいのときに門人宅で開かれる句会に小名木川を船で向かった時に、途中の神社で詠んだものとされる句を石碑に刻んだ女木塚(おなぎづか)が鳥居の傍らにあります。
御朱印もらえませんでした😣不在でした。
まだ行きす👍とても雰囲気が良い神社です😙
終バスが無くなって大島から丸八通りを北砂に向かって歩いてると陸橋の横にこつ然と現れます。
マンションの壁にさした神社の影が好きです。
奥深い稲荷神社でまた参拝したくなりました。
南砂町から砂町銀座まで散歩の途中で見つけました。
6月30日は過ぎてましたが、夏越大祓の茅の輪をくぐってきました。
東京都江東区の〔大島稲荷神社〕は〔小名木川〕の東端に近いところにある神社。
〔小名木川〕の西端には〔芭蕉庵〕があった。
大島稲荷神社には芭蕉句碑が3基ある。
① 女木塚 秋に沿て行はや末は小松川 ② 五月雨を集めて早し最上川 ③ 芭蕉像 秋に添て行はや末は小松川。
こじんまりした神社です。
古くからある稲荷神社で、大元京都だそうです社務所あり、300円お納めました。
ジュースありがとうございました。
こじんまりしたとした神社です。
名前 |
大島稲荷神社(大島神社) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3684-4749 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
東京都江東区大島に鎮座する大島稲荷神社の直書き御朱印を頂きに参拝しました。
慶安年間(1648年〜1651年)、江戸の物流を良くするために開削された小名木川近くの海辺が、度々津波に襲われ耕地が荒廃し住民が苦しんだことから、京都伏見の伏見稲荷大社の分霊を奉遷し産土神として奉ったのが大島稲荷神社のはじまりだそうです。
後に、近くにある愛宕山勝智院境内社であった愛宕神社と、柳川藩下屋敷の邸内社であった太郎稲荷を合祀したとのこと。
元禄5年(1692年)9月29日には、松尾芭蕉が深川から小名木川を下って門弟の桐奚宅を訪ねる途中、当地で舟を降り参拝し。
「秋に添て行はや末は小松川」の句を詠んだ。
境内にはその句碑「女木塚」が建立されています。
現在も神社はすぐ隣を通る丸八通りには向いてはおらず、目の前の小名木川の方を正面に向いていて、今でも在りし日の舟運の時代をなんとなく匂わせてくれます。
御朱印は拝殿向かって右手の社務所兼宮司宅で拝受可能。
境内社の佐竹神社の御朱印も頂けます。