朝日新聞と日刊スポーツがあって重宝しています。
南葛西コミュニティ会館地域は埋立地でしたが、現在は南葛西や東葛西九丁目(長島町)と成って豹変しておりますが周囲は田畑や水路で、堀江団地方面も何も無かった場所でした。
東葛西コミュニティ館内に昔日の写真が設置された右側は日本ロール前が雷でその先に仲町西組の都バスが走行していた一番広かった道路をすれ違う場所でした(東葛西コミュニティ会館の職員さんは親切です)。
南葛西の職員さんも親切です。
南葛西より北側は日本ロールの端には葦が沢山繁茂されていた先は擂鉢状の東京湾でエイや貝類等が取れた場所、北側は南葛飾郡葛西村、堀江町や長島町一帯(当初の本所や深川は西葛飾郡で町民の住居として拡張時代と共に本所区や深川区と)、東側は宇喜多へ向かう田園地帯で何も無かったのです。
殆んどが農道を拡張させて大きい舗装道路と田園を埋め立てて舗装道路と成りましたが、少し以前は蓮根や黒海苔の干場で切れた黒海苔は美味しいお土産でした。
また、それらの歴史を知らない人達や田舎より引っ越した人達は解りませんが、葛西橋通りの反対側は清光寺等(代々の新聞屋が隣)のお寺の周辺には壁すら無く(後で造られた光景)新田、三角や桑川町も田園地帯で寺院のみが一際目立つ風景が当時の葛西周辺でした。
当時の江戸川区は新小岩駅の西友や長崎屋、マルイに行かないと何も無く、浦安市方面は映画館(松島にもあった)、演芸場や繁華街は錦糸町の楽天地に負けない程に商店街があって何でもある開けた場所でした。
「浦安へ行く!と言っても千葉とは誰もが言わなかった(タクシー等の運転手さんは地方出身者が多いので知らない。
東京?千葉?と言ったりして道路を知らない)」事は都バスが走行し距離的、生活面や文化面は都内と一緒、繁華街、三社祭の粋な人達(浅草や深川等の人達も一緒に)だった背景があったのです。
何も無かった葛西方面から浦安に(浦安車庫があり)都バスや自転車で遊びに行って結ばれたご夫妻が沢山おり縁者等々が交流した時代があった事は伯母さんが良く語っておりますが、代々の浦安や葛西出身では無く相当な田舎から来た人達は「東京?千葉?の程度では」分からないですね!本当の本所育ちは言わないですね。
現在も親戚等々で脈絡と続いており叔父や叔母は生き字引です。
現在の浦安市の2割利用で公共施設は休止です。
可笑しな生産性のない行政です。
一部加筆等を行いました。
本所亀沢町6代目末孫。
子供用の図書館や市民講座が開かれる場所近くの子供達も主婦も多く集まり交流は活発周辺に越した場合は一度行ってみると良い交流拠点のひとつ毎月の予定や案内が入口にあるので職員に相談してほしい。
名前 |
南葛西会館 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
03-3686-9411 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~21:30 |
評価 |
3.8 |
部屋はいいが、他のコミュニティよりスタッフの方の対応が色々と細かく厳しい。
塩対応な感じ。