田中幸之助翁・誕生の地の特徴
名前 |
田中幸之助翁・誕生の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
行徳駅から徒歩数分。
旧街道の路傍に突然現れる記念碑の立つ一角。
説明の文面を引用。
この地区は、水運が発達していたので、鉄道を拒否してしまった。
その遅れを取り戻した土地の先覚者ということらしい。
「先見」の明を讃え田中幸之助翁・誕生の地 1890〜1969江戸川が交通の要所として栄えた時代、成田街道へとつづく行徳は多くの人々が行きかう賑やかな土地であったという。
しかし、明治に入り総武線が市川・本八幡を通った事により同地区は発展の遅れを余儀なくされていった。
この経過を熟知していた田中翁は、早くから同地区の開発に想いを寄せ、区画整理事業と地下鉄東西線の早期誘致・駅の開設が絶対条件であると身を挺して奔走、多くの協力者と共に同地区発展の礎を築いた。
田中翁は、東西線開通の直前に他界するが、地域の先覚者として惜しまれ地元有志と息子金吾氏によって胸像が建立される。
併設されている稲荷様には富貴と、長寿を願う「ぽっくり蛙」が祭られている。
平成二十年一月吉日」