それはそれは見目麗しく、美しい娘がいたそうな。
細長い参道があります。
手洗い場が2ヶ所あり、うち一つは観音様が設置されております。
奈良時代以前に市川真間に住んでいたとされる女性、手児奈さんを祀った霊堂で、今は「安産の神」としてお参りされてます。
悠久のロマンに参拝しました。
また、手児奈が水汲みをしたという「真間の井」は道を隔てた向かいの「亀井院」(瓶井院)の庭に残っています。
さまざまな伝説を纏いながら万葉集にうたわれ日本文学にも影響を及ぼした女性、手児奈の墓所に建てられたというお堂です。
長い石畳の参道の手前に真間万葉歌顕彰碑や説明パネルがあります。
安産や縁結びにご利益があるそうです。
日蓮宗 真間山弘法寺日蓮宗って知らなかった。
御首題帳鞄にいれててよかったw。
御利益は縁結び、安産、子育てだそうな。
車が通ることなど予想もしない昔からある町なんでしょう。
道幅はえらく狭い。
車で行く人は歩行者、対向車に気を付けてくださいね。
中学生のとき文化祭で上級生が手児奈の劇やってたなぁ。
思い出しましたよ。
真間に生まれた綺麗な娘さん、手児奈が隣の国に嫁ぐ、手児奈を巡り生まれた国と嫁いだ国で戦が始まる。
手児奈はいたたまれなくなり、子を連れて国に戻るが、出戻りゆえ、実家には気が引けて帰れない。
子供と2人で暮らすが、その美しさゆえ、国の男達が手児奈をめぐって再び争い始める。
争いを納めるため手児奈は自ら海に身を投げた。
フィクションかノンフィクションは知らないけど、この美しい女性の悲劇は万葉詩人にもインパクトを与えたんだとか。
2023.01.09参拝。
昔々、勝鹿(葛飾)の真間村に、それはそれは見目麗しく、美しい娘がいたそうな。
その娘は、請われて隣村の青年の元に嫁いで行ったそうな。
しかし、ある時勝鹿と嫁ぎ先の国との争いが発生したんじゃと。
それで、手児奈はその国にいたたまれず、一子を抱き古里真間村に帰って来たものの、実家には帰れず、一子と共に暮らしていたんだそうな。
しかし、そうしていると、手児奈に求愛する者達の間で争いが起こったそうな。
これを悲しんだ手児奈は、真間の入江に入水し、死んでしまったとか。
悲恋物語(日本昔話)風に言えば、こんな感じなのかなぁ😅その手児奈をお祀りしたのが、弘法寺さんなんだね。
その後、ここ手児奈霊堂に御霊が移され、祀られているんだねぇ😃だから、今では縁結びや安産の仏様として、崇められているんだねぇ☺️
弘法寺からちょっと距離あるのかと思いきや。
すごく近くだし、同じ管理なのかも。
中に入りましたが、ご祈祷中だったのでまた今度ゆっくりと。
とてもきれいにされている神社。
境内は綺麗に清掃されていました。
参拝して、境内を散策しているわずかな間でも、数名散歩がてらと思われる方々が参拝されていました。
此処で御朱印を頂きました。
弘法寺の方は書き置きでの対応で御座います。
御朱印を頂く場合は張り紙をしてあります電話番号にて電話をする事をお勧め致します。
万葉集の時代からここに人々の生活がある。
夏祭りの夜はとても趣きを感じる。
安産祈願に行ってきました。
20年ほど、手児奈霊堂を望める場所に住んでいました。
住宅街の中にあり、少し入り口がわかりにくいのですが、子どものころの今のようにグーグルマップなどなかった時代に、道に迷った観光客の方を手児奈霊堂や弘法寺に案内していたことが懐かしいです。
7月の海の日のあたりになるとほおずき市が開催され、賑わったのを覚えています。
当時は子どもだったので、なんとも思いませんでしたが、安産祈願の霊神堂で鬼灯の売買を行うのは、あまり似つかわしくもない気がしますね笑汗すでに40年近く行っているので、それも文化ですね。
それから隣接する池でよくザリガニ釣りをしていたのですが、最近行ったら全くいなくなっていました。
ウシガエル、アカミミガメもいなくなって、かわりにカワセミやマガモがいて驚きました。
若い娘さんが、他の人のために自殺するなんて悲しすぎます僕も心からお悔やみします邸内は綺麗で目にとまったのは、さだまさしが縁結びの木、てこなさんもあの世でしあわせに、なってください。
思っていたよりも立派なお堂でした。
祭壇も奇麗です。
御朱印もいただけます。
市川の昔話より真間の地を守護すると言われる女神手児奈を祀っている。
むかしむかしの、ずうっとむかしのことです。
真間のあたりは、じめじめした低い土地で、しょうぶやアシがいっぱいにはえていました。
そして、真間山のすぐ下まで海が入りこんでいて、その入江には、舟のつく港があったということです。
そのころは、このあたりの井戸水は塩けをふくんでいて、のみ水にすることができないので困っていました。
ところが、たった一つだけ、「真間の井」とよばれる井戸からは、きれいな水がこんこんとわきだしていました。
だから、この里に住んでいる人びとは、この井戸に水をくみに集まりましたので、井戸のまわりは、いつも、にぎやかな話し声や笑い声がしていたといいます。
この、水くみに集まる人びとの中で、とくべつに目立って美しい「手児奈」という娘がいました。
手児奈は、青いえりのついた、麻のそまつな着物をきて、かみもとかさなければ、はき物もはかないのに、上品で、満月のようにかがやいた顔は、都の、どんなに着かざった姫よりも、清く、美しくみえました。
井戸に集まった娘たちは、水をくむのを待つ間に、そばの「鏡が池」に顔やすがたを写してみますが、その娘たちも、口をそろえて手児奈の美しさをほめました。
「手児奈が通る道のアシはね、手児奈のはだしや、白い手にきずがつかないようにと、葉を片方しか出さないということだよ。
」 「そうだろう。
心のないアシでさえ、手児奈を美しいと思うのだね。
」 手児奈のうわさはつぎつぎと伝えられて、真間の台地におかれた国の役所にもひろまっていったのです。
そして、里の若者だけでなく、国府の役人や、都からの旅人までやってきては、 「手児奈よ、どうかわたしの妻になってくれないか。
美しい着物も、かみにかざる玉も思いのままじゃ。
」 「いや、わしのむすこの嫁にきてくれ。
」 「わたしなら、おまえをしあわせにしてあげられる。
洗い物など、もう、おまえにはさせまい。
」 「手児奈よ、わしといっしょに都で暮らそうぞ。
」などと、結婚をせまりました。
そのようすは、夏の虫があかりをしたって集まるようだとか、舟が港に先をあらそってはいってくるようだったということです。
手児奈は、どんな申し出もことわりました。
そのために、手児奈のことを思って病気になるものや、兄と弟がみにくいけんかを起こすものもおりました。
それをみた手児奈は、 「わたしの心は、いくらでも分けることはできます。
でも、わたしの体は一つしかありません。
もし、わたしがどなたかのお嫁さんになれば、ほかの人たちを不幸にしてしまうでしょう。
ああ、わたしはどうしたらいいのでしょうか。
」といいながら、真間の井戸からあふれて流れる小川にそって、とぼとぼと川下へ向かって歩きました。
手児奈のなみだも小川に落ちて流れていきました。
手児奈が真間の入江まできたとき、ちょうどまっ赤な夕日が海に落ちようとしていました。
それを見て、 「どうせ長くもない一生です。
わたしさえいなければ、けんかもなくなるでしょう。
あの夕日のように、わたしも海へはいってしまいましょう。
」と、そのまま海へはいってしまったのです。
追いかけてきた男たちは、 「ああ、わたしたちが手児奈を苦しめてしまった。
もっと、手児奈の気持ちを考えてあげればよかったのに。
」と思いましたが、もう、どうしようもありません。
翌日、浜にうちあげられた手児奈のなきがらを、かわいそうに思った里人は、井戸のそばに手厚くほうむりました。
真間の「手児奈霊堂」は、この手児奈をまつったもので、いまでは、安産の神さまとして、人びとがおまいりにいきます。
また、手児奈が水くみをしたという「真間の井」は、手児奈霊堂の道をへだてた向かいにある「亀井院」というお寺の庭に残っています。
小さいので、懇切丁寧です。
真間山弘法寺(日蓮宗の寺院)が管理している手児奈さんの霊神堂です。
10:00~16:00の間は御朱印もいただけます。
手児奈さんの悲話は江戸時代に上田秋成が著した『雨月物語』(「浅茅が宿」)にも出てきます。
近隣住民は「手児奈さん」と呼び、かつては「手児奈霊堂」だったのだが、いつの間にか「手児奈霊神堂」と、何となくおどろおどろしい名称に相成ってたようだ。
手児奈とはなんぞや、は検索してください。
若い女性を祀ったお堂なので、安産や子育ての御利益を求めて参拝客が来る。
手児奈さんは処女のまま亡くなったんじゃないかという気がするが。
狭い境内だが、夏のお祭りには細い参道にも屋台が並び、賑わいを見せる。
池は、柵に囲われ草ぼうぼうで水も濁り、覗きたくもないが、このあたりまで「真間の入江」が来ていた当時の名残を感じさせる。
近隣住民は「手児奈さん」と呼び、かつては「手児奈霊堂」だったのだが、いつの間にか「手児奈霊神堂」と、何となくおどろおどろしい名称に相成ってたようだ。
手児奈とはなんぞや、は検索してください。
若い女性を祀ったお堂なので、安産や子育ての御利益を求めて参拝客が来る。
手児奈さんは処女のまま亡くなったんじゃないかという気がするが。
狭い境内だが、夏のお祭りには細い参道にも屋台が並び、賑わいを見せる。
池は、柵に囲われ草ぼうぼうで水も濁り、覗きたくもないが、このあたりまで「真間の入江」が来ていた当時の名残を感じさせる。
春は、1本の垂れ桜と柳の新芽がきれいです。
池には、亀と大きなおたまじゃくしがいて、たまに、かわせみがいます。
日蓮宗。
真間山弘法寺の管理の様です。
安産に御利益があり、女性の参拝者が絶えません。
昔は紙芝居屋さんが来ていた。
お祭りも賑やかだった。
池には亀。
山部宿禰赤人は、上総国山辺郡司の山辺安麻呂の葬儀に、同郷の宮廷歌人として参列するため、伊勢から船で上総に向かい海上潟に上陸。
上総国府を訪問してから陸路で上総山辺郡衙での安麻呂よ葬儀に参列。
その後に上総国の両隣りの下総と安房の国府へ宮廷歌人として挨拶に行った。
下総国府を訪ねた赤人は手児名伝説に惹かれ奥津城を詣でて「真間の手児名」を詠んだ。
@房総風雅史 小倉光夫著P204
名前 |
手児奈霊神堂 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
047-371-2953 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
歴史的な由緒のあるお堂です。
お堂の中に入って御朱印を頂きました。
丁寧に対応してくださりありがとうございました🙇