川底より砂金を掬い上げた。
1407年創建。
柴又七福神(恵比寿天)。
観賢法印によって創建されましたが、国府台合戦(北条氏や里見氏などの房総諸将の間で行われた合戦)で荒廃。
その後、源珍の元で中興を迎えるも、彼の死後再び荒廃しました。
苦難の歴史を歩みましたが、近くの金蓮院の僧によって中興され、その時に寺名も薬王寺から医王寺に改称されました。
一時的な中興をもたらした源珍は25歳の時に高野山に入りましたが、高野山の大火の際に復興歓進のために全国行脚を行っていた途中、脚気で動けなくなったところを村人に助けられ、恵比寿天像と蕎麦粉を寄進されました。
源珍は蕎麦を食べながら恵比寿天に21日間礼拝したところ、身体が回復しました。
その後、源珍は各地の農民に蕎麦の栽培を勧め、商人にも蕎麦の流通を勧めました。
それにより、このお寺は「蕎麦寺」と呼ばれるようにもなりました。
柴又七福神巡りで私たちは2番目に訪問するお寺です。
今年は車で巡っている人が例年より多かったです。
柴又七福神巡りで訪れました。
七福神御朱印を1月いっぱいいただけます。
先日の雪が駅周辺の日陰にカチカチのツルツルで残っていて歩くのに危ないところもありましたが、無事に辿り着きました。
門に圧倒されます!
薬王山瑠璃光院医王寺。
真言宗豊山派の寺院。
御本尊は薬師如来立像。
柴又七福神のうちの福徳恵比寿天も祀る。
大正四年に江戸川堤防拡張のため、現在地に移転している。
眼病にご利益があるとされるお寺。
新柴又の駅から至近。
お蕎麦屋さんの信仰を集めるお寺として有名!蕎麦地蔵尊像が安置されています。
また、柴又七福神の一つ、商売繁盛の神様「恵比寿天」も祀られています。
1407年創建。
柴又七福神巡りのお寺。
福徳恵比寿天が祭られています。
立派な山門があります。
新柴又駅から徒歩3分ほど。
葛飾名所 七福神 福徳恵比寿天。
立派な山門等があるがこちらも柴又七福神の中では対応がいまいち御朱印も本尊、七福神ともに印判で済ませてる時点でどのような対応なのか見当は付く。
御朱印の評判は悪いようですが、葛飾区の庚申塔が設置されているスポットです。
自分は足立区と葛飾区の講の研究をしています山門も立派なので立ち寄るくらいならおすすめです。
柴又七福神の一つです。
とても迫力あるお寺です😙御朱印頂きました☺️
柴又七福神で参拝しました。
恵比寿天ををお祀りしています。
立派な仁王門に立ち止まると 仁王様がお迎えです。
顔は勇ましくそして四頭身とお顔が大きいのが特徴です。
医王寺は、新柴又駅より徒歩2分くらいの所にあります。
真言宗豊山派の医王寺は、正確には薬王山瑠璃光院といいます。
縁起は、観賢法印が応永14年(1407)に創建して、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれたからだそうです。
戦国時代の合戦で罹災してしまい、寛永年間(1624-44)に金蓮の僧某が再興して、医王寺と改称しました。
祀られているのは、七福神で唯一の日本の神様でもある恵比寿天。
航海と漁業の神様であり、商売繁盛の神様でもあります。
本堂の伽藍付近には、美しい7人の天女さまの彫刻が飾られていて、参拝に訪れる者を見守っています。
境内には、弘法大師像や蕎麦地蔵も祀られています。
2018年1月4日、柴又七福神、恵比寿天を祀るお寺です。
色紙に恵比寿天の御朱印をいただきました。
手前の門が凄く迫力があり、その中の仁王像もみものです。
七福神のご朱印以外にも、蕎麦地蔵?のご朱印も頂ける様です。
お坊さん姿のキューピーが売られていました。
山門が立派なお寺。
七福神の御朱印は紙でもらいました。
柴又七福神 恵比寿天 医王寺中興祖源珍僧都という御方が宗祖弘法大師の足跡を巡行中、村人より一体の恵比寿天を戴かれ、山中に安置し香華供物を供え二十一日間の御修行をすると、川底より砂金を掬い上げた。
後に恵比寿天を礼拝すれば商人は金銭意の如く集まると唱え、多くの世人に広めた。
当山代々住職は、その偉業を尊び伝承し今日に至らしめたものである。
名前 |
医王寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
柴又七福神巡りの恵比寿様が奉られてます。
山門には仁王門があり、二階には自国天、多聞天、広目天、増長天の像が有り、中には弘法大師像が有ります。