(2021(令和3)年現在)階段脇にある「由緒」が...
(2021(令和3)年現在)階段脇にある「由緒」が分かりにくいので翻訳しました。
由緒風光明媚景勝の地、勝間田の池(現 勝間田公園)のほとり丘の上の、熊野権現社の此の地に、大正五年一月十三日 一郡総社葛飾大明神を千葉県東葛飾郡葛飾村本郷一四一番地[現 船橋市文化財 西船六丁目葛羅の井戸](昔、葛飾大明神御手洗の井戸)の西側台地より此の地に奉遷奉斉し、熊野権現社へ合祀し村社葛飾神社と改称し現在に至る。
里人悉く慕い敬い奉る。
訳1916(大正5)年1月13日に、一郡総社葛飾大明神を葛羅の井の西側台地(千葉県東葛飾郡葛飾村本郷一四一番地)から此の地に遷した。
そして、熊野権現社へ合祀し、村社葛飾神社と改称し、現在に至っている。
「千葉県東葛飾郡葛飾村本郷一四一番地」は葛羅の井のある場所のように読めますが、実際は、葛飾明神があった所です。
葛飾明神:千葉県東葛飾郡葛飾村本郷一四一番地葛羅の井:千葉県東葛飾郡葛飾村本郷一七四番地「千葉県東葛飾郡葛飾村本郷一四一番地」は、享保年間に幕府のお林山を開墾してできた新畑の一画で、葛羅の井の前の坂の中ほどです。
従って、印内一丁目公園の近くにある「葛飾元宮」と呼ばれている石祠は葛飾神社の「元宮」ではありません。
ややこしいことに、葛飾明神は、本郷一四一番地に遷る前、葛羅の井畔にあったことになっています。
つまり、この神社は少なくとも二回遷宮しています。
移動履歴葛羅の井畔(葛飾村本郷一七四番地)↓ 享保年間(1716年~1736年)幕府お林山跡開墾地(葛飾村本郷一四一番地)↓ 1916(大正5)年勝間田の池畔熊野神社に合祀(現在地)
綺麗に掃き清められていた。
石の鳥居には、文化十一甲戌(1814)年と刻まれていた。
狛犬は、大正5(1916)年と記されていたから、由緒の記載内容から、この地に奉還されたときにおかれたものなのかな?と思った。
本殿は囲われていてよく見えないが、木鼻は、獅子鼻、獏鼻が見えた。
拝殿にむかって右側に昔の焼却炉の残りか思ったら、天満宮、塩釜神社、稲荷神社等の祠が保護?されていた。
表示がなければ分からない。
綺麗な神社だった。
綺麗でこぢんまりした境内よくお詣りしてます。
狛犬はとても迫力があります。
今年はコロナで、人のいない神社に初詣もう出に行った。
なかなかよかったです。
素敵な神社です。
クロマツはでかいですね・・・。
朝早くお参りさせていただきたが、とても静かな神社でした。
ミケネコちゃんが、まるで飾りの様に、岩の上でお出迎えをしてくれました。
良く掃き清められた境内。
清楚な神社。
狛犬に迫力あり。
神社の縁起は添付の写真をご覧ください。
隣には勝間田公園があり、かつては都にまで知られていた景勝地だったらしいのだけれど、いまではその面影を探すことも難しいですが。
御祭神は、瓊々杵尊、彦火々出見尊、熊野大神です。
船橋市指定文化財の葛飾神社のクロマツは、社殿と一体化していて綺麗です。
末社には天満宮、鹽竈明神、稲荷神社、日枝神社、羽黒神社が祀られていました。
クロマツは見事だけど、他は何もない。
勝間田公園のそばにある。
江戸時代は熊野神社だったが、大正時代に近くにあった葛飾神社と合祀されて葛飾神社となった。
神社の縁起は添付の写真をご覧ください。
隣には勝間田公園があり、かつては都にまで知られていた景勝地だったらしいのだけれど、いまではその面影を探すことも難しいですが。
御祭神は、瓊々杵尊、彦火々出見尊、熊野大神です。
船橋市指定文化財の葛飾神社のクロマツは、社殿と一体化していて綺麗です。
末社には天満宮、鹽竈明神、稲荷神社、日枝神社、羽黒神社が祀られていました。
狛犬に迫力あり。
名前 |
葛飾神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
小さいが雰囲気がある。
少しだけ小高いので眺めも良い。