弁財天様かなわきだした水で自然に出来た池のわきにた...
数年ぶりにお伺いしました。
法華経寺から、5分程緩い上り坂を歩きます。
現在は住宅街なのですが、さぞかし眺めの良い場所だったのかなと?思いながら歩く。
有志の方が綺麗に掃除されていて、とても清々しい場所です。
ご住職らしき方はとても気さくで知っている事は惜しみなく教えて下さいました。
日蓮上人は鎌倉から船で来たのではないかと。
暫し、上人の存在を感じられる場所なのではないでしょうか?世界三大荒行を行う場所の一つでもあります。
千葉にこんな所があるとは。
奥之院若宮館跡 富木常忍の館市川七福神の一つ弁財天も祀られています。
入ると左手に日常聖人像、本堂と続きます。
拝殿の奥には見事な滝があります。
見どころが多いところです。
鎌倉時代の中頃、下総国の守護千葉頼胤に仕えた富木常忍は、八幡荘若宮と呼ばれたこの地に館を構え、幕府のある鎌倉との間を往復しました。
そこで、たまたま布教に懸命だった日蓮と出会い、熱心な信者となったのです。
そうしたところから、文応元年(一二六〇)日蓮は、鎌倉の松葉ヶ谷で焼討ちにあったとき、この常忍を頼って若宮に難を逃れました。
この時、常忍は館の中に法華堂を建て、日蓮を迎えて説法を願いました。
さらに日蓮は、文永元年(一二六四)安房の小松原で東条景信に襲われた後も、若宮に身を寄せました。
この若宮法華堂で開かれた日蓮の説法は、実に百回に及んだといわれます。
この地が日蓮の「初転法輪の旧跡」とされるのは、この理由からです。
このことで中山の大田乗明、曽谷の曽谷教信など、日蓮の信者になった人々は多く、また日蓮にまつわる数多くの伝承も残されています。
弘安五年(一二八二)日蓮の入滅後、常忍は出家して日常と号し、法華堂を改めて法華寺と称しました。
この法華寺は後に中山の本妙寺と合体して法華経寺となり、日常を第一世とし、法華寺は奥之院と称されるようになりました。
いまでも土が高く盛られ、大樹の繁っている部分は、往時の館を取り囲む土塁の一部で、この館の跡を「若宮館跡」と呼んでいます。
(案内板より)
日蓮宗の創始者・日蓮がはじめて説法をした場所です。
又、日常が法華寺(後の法華経寺)を建立した場所でもあります。
元々は日常の自邸で、彼は幾度も迫害された日蓮のためにここに法華堂を建て、日蓮の安息の地を提供しました。
法華堂は日蓮の死後に法花寺となり、日蓮に檀越であった日高が創始した本妙寺と合併して法華経寺となりました。
境内には弁財天が祀られています。
奥の院と言われている通り、法華経寺からは住宅街を十分ほど歩く必要があります。
訪れたのは朝方だったので静かな雰囲気でした。
法華経寺の駐車場から見えた案内板に従って行きました(徒歩で)。
途中、石でできた古そうな案内を見つつ坂をのぼります。
左側にパン屋さんがある交差点を右へ、すると「奥之院」の看板が見えましたので無事に到着です。
入口は簡潔な門柱が立っているだけですが(失礼ながら)、本堂は立派です。
法華経寺の発祥の地のひとつでもありますね。
本堂への階段を上がると、お寺の方が「中へどうぞ。
」促して頂きましたので、本堂の中でお詣りができました(中に授与所があり御首題もそこでいただきましたので、結果的には本堂に上がるのでしたが)。
本堂から下りると、日常聖人の墓所への入口がありました、入って良いか分からなかったので、入口にて手を合わさせていただきました。
はじめて法華経寺の奥の院を参拝させて頂きました。
境内は水子さんの供養の為の地蔵様が多数あり全てにお線香を焚いてお参りさせて頂きました。
御堂は神社の拝殿に似ている風貌でビックリしました。
中は入れるみたいです。
御堂脇の弁天様が祀られていて水は流れていませんでしたが小さな滝もありました。
御堂の左側には日蓮様の像も立派でした。
小さい敷地に見所がある奥の院で参拝できて良かったです。
また参拝させて頂きます。
最寄り駅 JR総武線 下総中山駅徒歩で20分位拝観料は無料 トイレ無し山号 正中山宗派 日蓮宗本尊 ー日蓮聖人が文応元年(1260)富木常忍(中山法華経寺初世日常聖人)の館に逃れてきた当地に建立した法華堂の地だといいます。
法華堂は後に法華寺と改称、さらに中山の本妙寺と合寺して法華経寺となり、奥之院と称されるようになったといいます。
当寺の弁財天は市川七福神の弁財天となっています。
との事です。
境内の敷地は広くは有りませんが整然としており本堂の他、弁財天、滝、水子供養地蔵など祀られています。
本堂は艶やかで良いですね!
写経体験がとてもリフレッシュします。
是非オススメです!お盆の時期の御先祖様の送り出しがとても素敵な時間でした。
戸手も良い寺院ですね🤗
中山法華経寺から離れており、徒歩で向かうと5分はかかる。
富木常忍さんの住処があったとされ、この辺一帯は東京湾の入海だったと言う。
法華経布教の道場である。
法華経の経典を大切に携えた日常上人の銅像が敷地内にある。
こじんまりとしたお寺ですが、静かで雰囲気も良く、ゆっくりお参りすることができました。
奥之院の御首題が拝受できます。
久方ぶりに参拝させていただきました。
以前はご近所の方々がお手伝いに来ていて身延山久遠寺の写真など見せてもらいながら堂内でお茶してたりしたのですが、今はコロナ禍でそういうことも無く静かですね。
滝があり、滝壺ギリギリまで近寄れるのが面白い。
静かに御参りできます。
法華経寺の始まりとされるお寺。
富木常忍の館だったそうです。
弁財天もあります。
訪れる人も多くはなく静かな佇まいです。
御首題対応ありがとうございました。
甲子の大黒天の縁日で素敵な御朱印を頂きした。
日蓮上人初説法の地。
奥まっているだけに参拝者数は現在の法華経寺に比べて少ないが、堂宇は立派。
元はこちらが法華経寺の中心だったとのこと。
「市川七福神」のうち、弁財天がお祀りされており、正月には参拝者も多い。
お堂に上がってご本尊を拝むことができる。
いい具合にお香の煙に燻されて、きらびやかな金箔に深い味わいを与えている。
御朱印をいただこうと、堂内の授与所にゆくと、気さくな感じの年配のお坊様が、丁寧に見事な筆を振るって文字を書き上げて下さった。
志納金はほんとうに「お気持ちで」と言われたし、300円納めたが特に嫌な顔もされず。
そのへんは常識的に、失礼のないようにしましょう。
勝栗・アタリメとともに、お神酒(お寺では何というのだろう?)を振る舞っていただいたのも、珍しい体験でああり有り難かった。
車の駐車スペースはあるが、一方通行路を入ってこなければいけないので、カーナビを使ったほうがいい。
日蓮聖人が鎌倉幕府に終われ、この地に逃れて来ました。
今も館の土塁が残っています。
一番目にとまったのは、弁財天様かなわきだした水で自然に出来た池のわきにたたずむ弁財様がとてもよかった。
2017/4/19拝受 日蓮上人が初めて説法した場所。
ここが起点となって法華経寺が創建された。
非常に重要な意味を持っている聖地です。
御首題は、本堂へ入った右手の受付で頂けます。
有り難く頂きました!
数千体の仏像、驚きましたね、有り難くお詣りさせて頂きました。
見事な寺院です。
鎌倉時代千葉氏家臣の富木氏の館跡。
後に日蓮の教えに従って日常と号したとされる。
法華経寺の始まりともいえる寺で、奥の院とされており、参拝者も多い。
本堂は近代建築だが、内部の荘厳などは素晴らしい。
周囲には土塁がよく残っており、鎌倉武士の館として見てみるのもおもしろい。
日蓮上人初説法の地。
奥まっているだけに参拝者数は現在の法華経寺に比べて少ないが、堂宇は立派。
元はこちらが法華経寺の中心だったとのこと。
50年ほど前にお上人に母がお世話になって、今でも感謝のお墓参りに行っております。
母は80代です。
2017/4/19拝受 日蓮上人が初めて説法した場所。
ここが起点となって法華経寺が創建された。
非常に重要な意味を持っている聖地です。
御主題は、本堂へ入った右手の受付で頂けます。
有り難く頂きました!
とても荘厳で由緒正しく教えを守っているとても素敵なお寺です。
私はお仕事をお手伝いさせて頂きましたが皆さんの頑張りには本当に脱帽致しました。
朗かで賑やかで住職様や証人様もとても良くして頂いて有難う御座いました。
次回伺う時は御守りを購入しようと思っております。
日蓮宗寺院。
立派な本堂が目印です。
境内も広く、結構大きなお寺さんです。
名前 |
法華経寺 奥之院 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
047-334-0221 |
住所 |
|
評価 |
4.2 |
富木常忍(1216-1299)の墓所がある法華経寺の奥之院。
元々はこの場所に法華経寺があったようで、富木常忍の屋敷の跡地とのこと。
法華経寺から徒歩10分ほどの場所にあり、本堂内で御首題を頂けました。