今はこの記念碑しか残っていないようです。
行田地区の地図を見れば、円形道路が嫌でも目につく。
これは旧海軍無線電信所船橋送信所、の跡地だからである。
巨大な雨傘のホネのような形のアンテナが張られていたが、1970年代までに撤去された。
説明板を引用しておきます。
------------- ここから -------------ここ下総台地の一角にかつて無線塔が聳えていた。
大正四年(一九一五年)に船橋海軍無線電信所が創設された。
大正五年にはハワイ中継でアメリカのウイルソン大統領と日本の大正天皇とで電波の交信があった。
広く平和的にも利用されたのでフナバシの地名がはじめて世界地図に書きこまれた。
大正十二年(一九二三年)の関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けた。
昭和十六年(一九四一年)の頃には長短波用の大アンテナ群が完成し太平洋戦爭開幕を告げる「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電波もここから出た。
船橋のシンボルとして市民に親しまれていたが昭和四十六年(一九七一年)五月 解体されて栄光の歴史を閉じた。
円形に残る道路が無線基地であった名残を残している。
無線基地を作る際には土地が強制的に収用されたようですが、戦後元の所有者に返される事はなかったそうです。
旧海軍の無線塔真珠湾攻撃トラトラトラやミッドウェー海戦敗戦などの通信など特攻隊最後のモールス信号ツ。
ツ。
ツーーー。
などを受信して各地の地下壕にある海軍基地や旧海軍省に送ってた歴史ある無線塔。
地図に少しでも関心がある方なら、「おやっ?」と感じる形をしている行田団地のほぼ中心にこの船橋無線塔記念碑があります。
既に他の方も触れている通り、元は海軍の無線施設がありました。
写真は記念碑と行田団地周辺の大正時代の地図ならびに今でも残る海軍境界石です。
海軍境界石は行田団地周辺に数箇所残されていますので、ぜひ何個発見できるかチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
以下、記念碑の碑文からです。
「ここ下総台地の一角にかつて無線塔が聳えていた。
大正4年(1915年)に船橋海軍無線電信所が創設された。
大正5年にはハワイ中継でアメリカのウイルソン大統領と日本の大正天皇とで電波の交信があった。
広く平和的にも利用されたのでフナバシの地名がはじめて世界地図に書きこまれた。
大正12年(1923年)の関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けた。
昭和16年(1941年)の頃には長短波用の大アンテナ群が完成し、太平洋戦争開幕を告げる「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電波もここから出た。
船橋のシンボルとして市民に親しまれていたが昭和46年(1971年)5月解体され栄光の歴史を閉じた。
」
環状道路は海軍無線通信所の名残。
かつて真珠湾攻撃に際してニイタカヤマノボレ1208が打電された。
今は団地、公園、学校、生協などが内包され、さながら一つの有機体の様である。
行田公園の中にある無線塔記念碑の周りの道路は添付Googleマップのように円形になっています。
これは海軍無線電信所の主塔、副塔と塔を支える鋼鉄線や電信線などの張力を均等にとる必要からその周囲は円形となり、跡地が円形道路となったようです。
船橋無線塔。
.Googleマップで船橋あたりを見てると、なんか変な部分があることに気付いてしまった。
早速行ってみた。
.何が変って、区画が「丸」。
サークル状なのだ。
この丸い区画に直行し(うどん屋に寄り道したが)、調査開始。
.クルマを止めてフラフラしていたら記念碑があった。
「船橋無線塔記念碑」。
どうやら昔ここに日本海軍の無線塔があって、そのせいで丸い区画ができてしまったようなのだ。
.わりと近所にこんな面白いスポットがあったことに感動!自分が住んでる場所のことはしっかり勉強しないといけないと痛感した日曜日でした。
.※今は「行田公園」ていう公園に整備されてるが、この公園の形も不思議なグルーヴがある。
太平洋戦争時に「ニイタカヤマノボレ1208」を送信した無線送信所があった場所。
記念碑のみあります。
行田公園内にあり、ついでに訪れておきたい場所です。
車の場合、行田公園駐車場有公共交通機関の場合、東武野田線・塚田駅から徒歩20-25分程度。
昭和46年まで、この場所には旧海軍の無線送信所(船橋無線送信所)がありました。
『送信所としては、アメリカのウイルソン大統領と大正天皇の祝電取り交わしや真珠湾攻撃に際する暗号(ニイタカヤマ登レ一二〇八)送信、関東大震災の被害状況を送信したことが有名です』その昔、現在の円形道路の中央に無線送信所があり、その近くに高さ180メートル越えの自立鉄塔6 基、その周囲を中型小型の鉄塔数基が立ち並んでました。
自立鉄塔が立てられる前は、半自立型の主塔が立てられていたらしく、これを支える鋼鉄線の支線台と副塔が主塔から等距離である構造からその配置が円形となり、塔の取り壊し後も円形道路として残ったそうです。
(一部円形ではない場所があり、これは道路が諏訪神社を避けたからです)私の記憶(昭和40年~46年)では、送信所周辺は畑と雑地で、送信所から円形道路方向に放射線状の農道が何本もありました。
円形道路は現在も残ってますが、実は無線送信所そのものの外周も円形の道路で、道路に沿って高さ3メートル位の網目のフェンス(最上部は有刺鉄線)があり、フェンス内側に無線送信所があった訳です、つまり、当時は円形道路が二重丸の状態に存在していたのです。
現在、円形道路の中心を通る片側2車線の直線道路は行田団地建設に伴って開通した道路で当時は無線送信所が円の中心にあったことから存在しなかった道路です。
戦争は良くありませんが、この記念碑の前で目を閉じると不思議なパワーをいただいた様な感じになるのは私だけでしょうか?また、広い行田公園内をぐる~りと歩いてもジョギングで周回してもとても清々しく感じますから是非立ち寄ってみて下さい。
(🅿は円形道路の行田東小近くにあります)※余談ですが、記念碑の南西方向にある丸い建物は水道タンクで千葉県水道局が管理してます。
(確か、昭和41年にはあり、当時は自由に出入りできました。
ペイントされたのは数年前で、元はコンクリートそのままでした)
行田地区の地図を見れば、円形道路が嫌でも目につく。
これは旧海軍無線電信所船橋送信所、の跡地だからである。
巨大な雨傘のホネのような形のアンテナが張られていたが、1970年代までに撤去された。
名前 |
船橋無線塔記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.funabashi.lg.jp/funabashistyle/jp/001/p042367.html |
評価 |
4.0 |
プレートのみなので、地図を見ながら円の中心にいることを感じるだけのスポットです(^-^;