国土地理院の色別標高図にかけてみると古墳のように思...
八幡神社(高塚新田) / / / .
標高がここだけ不自然に31.3mあり、国土地理院の色別標高図にかけてみると古墳のように思える。
Web松戸よみうりによると宇治川の合戦で活躍した名馬「生月(いけずき)?」の塚と説明しているが、大き過ぎて塚とは思えない。
高塚の地名由来。
宇治川の合戦は平安末期の1184年(寿永3年)。
高塚八幡神社の創建は1636年(延宝3年)以前。
祀っていたから崩されずに済んだのだろう。
歴史ロマンが湧くスポットである。
毎月14日と月末にお掃除をしています。
手水舎が清らかな水で満たされますように。
トホカミヱミタメ甲乙丙丁戊己庚辛壬癸祓ひ給ひ 清め出給ふトホカミヱミタメ子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥祓ひ給ひ 清め出給ふトホカミヱミタメ乾兌離震巽坎艮坤祓ひ給ひ 清め出給ふ。
立派な参道と本堂を持つ、地元の鎮守様かと思われる。
車で入っていくのは、道を知っている地元の人ならともあれ、カーナビでもちと難しい。
昭和55(1980)年の段階で、三百年祭の記念碑が建てられているので、延宝7〜8年に創建されていることになる。
市川市内の寺社を回ると、17世紀後半の碑や無縁墓石を多く見かけるので、この時期に建立が多かったのかも知れない。
一の鳥居から長い参道を経て二の鳥居から本殿があります。
昔は長い参道は豊かな緑の森だったと思いますが、伐採されて住宅地に囲まれてます。
創建300年以上。
御祭神 誉田別命WEB松戸よみうりより。
高塚八幡神社は源義経が木曽義仲を追討した宇治川の合戦で活躍した名馬「生月(いけずき)」が眠る塚の上に祀(まつ)られており、「高塚」の地名のもとになっている。
平安時代からこの地域は小金牧という馬の放牧地で、この合戦で先陣争いをした佐々木高綱と梶原景季が乗った名馬・生月と摺墨(するすみ)も小金牧産だったと伝えられる。
生月はその後、再び小金原牧に放たれ、余生をおくっていたが、たまたまこの地で息を引き取り、人々は高塚を築き供養した。
江戸時代にはこの小高い高塚は江戸川を航行する船頭たちの目印になったというが、今では団地や宅地造成などにより、この土地が小高くなっているようには見えない。
お参りには良さそうな所です。
涼しげな場所。
名前 |
八幡神社(高塚新田) |
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ジャンル |
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電話番号 |
047-334-2111 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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石灯籠は、左右で奉納年が違っていた。
拝殿に向かって右側は、読み取りにくいが文化十癸酉(1813)年と思われ、左側は寛政三己未(1799)年であった。
御手洗石は、文政四辛巳(1821)年と刻まれている。
元禄時代の庚申供養塔(板碑型)が元禄二(1689)と元禄七(1694)の2つがあった。
また元禄八年(1695)の念仏講の供養塔もあった。
年代も読み取れる。
歴史を目で見てかんじられる神社です。